記事一覧

船について

『八十日間世界一周』については何度も読み、何度も書いているのですが、当然ながら、読み尽くした、書き尽くしたというには程遠く、作品の表層的な細部に限定してもいまだ隔靴掻痒の感が残るのは、最重要文献を未だに調査できていないからです。そのことを改めて感じさせられる発見が最近ありました。デパート古本市で雑書=ネタ本を漁るのが最近の「趣味」というか、仕事の一部なのですが、『八十日』に関する章があるというので特に期待もせず買ってきた中川浩一『観光の文化史』がなかなか拾い物でした。読み物的に緩いのが欠点でも長所でもあるような本で、著者は、鉄道関係では結構有名な人なんでしょうか。ホームズの『最後の事件』のスイスへの経路を時刻表片手に検証したりする章もあって、今ならもっと精緻でスマートな研究がありそうですが、素人にはこのくらいのもたもた感の方が親しみやすい。ライヘンバッハの滝の実地調査も、個人的にこの滝を訪れたことがある者には興味深いものがあります。で、肝心の『八十日』の章、まくらにあたる、著者本人としてはさして重要ではない部分に含まれる小ネタにはっとしました。ラングーン号とカーナティック号は実在の船だったというのです。いやはや、『海底二万里』冒頭に出てくる船がことごとく実在なのは気づいていましたが、これもそうだったとは。ヴェルヌの場合、登場人物以外の固有名は実在と疑った方がよさそうですね。特に船の場合、ほとんど歴史上の人物と同じ扱いになりやすい気がします。「イギリス国籍の定期船名辞典として、実用度の高いVernon Gibbs : British Passenger Liners of the Five Oceans, 1963を開いてみると、1800トンの姉妹船として就航したカルナティック、ラングーンの二隻は、ともに薄幸な存在であったと記されている。1862年に竣功したカルナティック号は、1869年9月、スエズ湾で荒天が災いとなって座礁し、全損に帰した由である」「ラングーン号の場合には、1862年に竣功したが、セイロン島南西端に位置するゴールを出港し、オーストラリアに向かう途中、港口に存在する暗礁にふれ、全損に帰していた。1871年11月の事件と、記録されている」。

つまり、両船ともにフォッグ氏世界一周時には存在していなかったわけです。こうしたことが生じた原因として、中川氏は、「事実設定のタネ本として『ブラッドショウ大陸旅行案内』の旧号を用いたにもかかわらず、年代だけは繰り下げたためであったろう」と推測されています。しかし、いかんせん船の事故がいずれも直前というのが気になります。わざわざすでに存在しない船にフォッグを乗せた可能性もないとはいえない。横浜描写(中川氏の章の眼目はこちらですが、すでにこの面では『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』の周到な調査がある今となっては、特にどうということはありません)と同様の資料の古さが原因の可能性は高いのですが、ヴェルヌが『ブラッドショウ』を使ったとして、それがどの号なのか、特定できなければなんともいえません。特定できればほかにも思いがけない発見はありそうなんですよねえ。以前shiinaさんがこの小説のなぞはすべてブラッドショウにあるような気がするとおっしゃっていましたが、確かにそんな気がします。1872年前後のブラッドショウが古本で出たら入手したいと思っているのですが、なかなかピンポイントで出ないし、結構高いんですよね。グーグル・ブックに入っている号もありますけど、年代的にぴったりとはいかないし、ページ数が多くて解像度が悪いと調べにくいこと夥しい。なんとかならないものでしょうか……

明治期におけるジュール・ヴェルヌの移入

比較文学会東京支部の今月の例会は、特別企画「明治期におけるジュール・ヴェルヌの移入」です。司会・講師のお三方はいずれも当会のメンバー。詳細はトップページ(右上の「ホーム」をクリック)をご覧ください。

夏の雑談

よくもわるくも、昔ほど夜更かしができず、23時過ぎには眠くなってしまう。

しかも今の季節は暑いので、休日でも自然に7時頃には起きてしまう。一見健康的だが、たっぷり寝るにも若さがいるということだ。心境としては初老である。

したがって、オリンピックのいいところは大概翌日のニュースで観ることになる。もともと競泳とかにはあまり興味がないけれども、サッカーも体操も卓球もバドミントンも全然生で観ていない。
さすがに女子サッカーが決勝トーナメントになったので、やっと録画して今観ている始末。ブラジルもなぜ勝てないのだ、というくらいの個々の身体能力と攻撃力なのだが、それを封じ込めたなでしこの守備力とすばやく攻撃に移行する連携のすごさ。そしてやっぱり澤すげえな。

あとは、フランスやアメリカが使う、ロングパスで前線に放り込んで高速でゴールを狙う、中盤を「すっとばす」戦法にどう対応するか、なのだが・・

さて、ちょっと前にプレイヤード版ヴェルヌをゲット。そこまで指定しなかったのだが、二巻をセットで化粧箱に入れているヴァージョン。解説や注釈はよく分からないのでいつかじっくり読むことにする。

『この人を見よ』はヴェルヌ書店で予約していたので発売後ほどなく着。少しずつ読む。ちとネタバレになるが、後半中野重治が出てくる。なんだか最近中野の名をよく目にする。それだけ時代が巡った、ということなのか。ただ、講談社文芸文庫『斉藤茂吉ノート』の帯にある、「生誕120年」というのは明らかに間違い。まだ110年だ。

こういうあからさまな間違い、というのは単なる確認不足に過ぎない。ちょっと以前、誰だか忘れたが、『ガリヴァー旅行記』について、「誰でも知っているが、ガリヴァーが小人国で縛り付けられているところから始まる」と書いていた。『ガリヴァー』は、刊行者なるものの「刊行の辞」から始まり、ガリヴァーが簡単に生い立ちと出航の経緯を語るところから始まるのだ。難船して漂着した島で疲れて眠ってしまい、目覚めると縛られていたという次第。『ロビンソン・クルーソー』ほど前置きは長くないが、無視していい細部ではない。

ちょっと本棚をあたって確かめればすむ話なのだ。今月の「S−Fマガジン」のレムの著作リストも、『泰平ヨンの未来学会議』を「未来会議」にしていたり、『未来学会議』と『現場検証』を短編集に分類したりしている。まあ、確かに『未来学会議』は短編集に収録された中編なのだが、そんなこと言ったら『GOLEM ⅩⅣ』だってもともと短編の中編化である。

「泰平ヨン」シリーズは、短編が次第に複雑な長編に変貌して行くところが、レムの小説歴を考えるうえで非常に重要なのだが。

一人で文句を言いつつ、石橋氏がCyrus Harding42さんに勧めていたサイトをチェック。『文学におけるマニエリスム』、やっぱり買わないとだめか。

何と言っても、9月に河出文庫からフーコー『知の考古学』が新訳で出るのが驚異。現行訳は何度読んでも「言表」の定義付けが今ひとつ分からないので、新訳に期待。

国書刊行会のレム・コレクションは予定が未定らしい。そんなことだから間違えられるようになるのだ。

まあいいか。『八点鐘』を寝る前に一話ずつ読む。気楽な読書が一番。

(新潮文庫)海底二万里 近刊

 本日、大型書店でジュール・ヴェルヌの近刊情報を知りました。

それは、新潮文庫「トム・ソーヤの冒険」の完訳および新訳に好奇心が注がれていた時でした。文庫の帯の裏にある近刊情報に「海底二万里」のタイトルに気がつきました。

「海底二万里」上下(村松潔 訳) 帯からの情報では9月の近刊とありましたが、ネットでの情報では8月28日とありました。でもまだ、ネットでの情報は少なく、ここに貼り付けたURLだけしか見つけることはできませんでした。新潮社のサイトにも情報がない。

http://d.hatena.ne.jp/BaddieBeagle/20120705/1341451853

新潮文庫のヴェルヌ作品は抄訳版「十五少年漂流記」しかなかったので、ヴェルヌの「海底二万里」を入れてくれたのは、ヴェルヌファンとして嬉しいものがありました。

でも、なぜヴェルヌ作品を…と思い、彼の生没年から計算してみると、生まれた年から来年で185年になる。このキリ版でヴェルヌフェアをするのかな?それとも、単なる思いつきかな?どちらとも断定できないけれど、ヴェルヌ作品が再注目されるきっかけになればいいなと思いました。

盛林堂書房で会誌の販売開始

西荻の盛林堂書房にて会誌の販売を始めていただけることになりました。本日、暑い中、納品してまいりました。日本文学とミステリ関係の品揃いが実に渋く、棚を見ているだけで楽しいお店ですので、機会のある方はぜひ立ち寄られることをお勧めします。

http://d.hatena.ne.jp/seirindou_syobou/20120727

店主さんも後藤明生ファンということで、当方がまだ入手していなかった『この人を見よ』の実物を初めて見せていただき、初めて会った同士でしばし感慨に耽るという貴重なひと時を持つことができました。早速、用のあった神保町に回って入手。帰りの電車の中で矯めつ眇めつしていたので、さぞ周囲の乗客からは変な奴と思われたに違いありません。

ページ移動