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重力加速度  ある会員の活動24

『地球から月へ』でニコルがバービケインにぶつける問題。発射の衝撃に中の人間をどうやって耐えさせるか? バービケインはさんざん考えたあげくに水を緩衝剤にすることで解決することになっているのだが、ミラーの『詳注版』によると、重力加速度の問題はそんなことではまるで解決できないとのこと。

この辺、純粋文系の私のようなものにはなかなか理解できない。ただ、重力加速度というのがジェット機などでいうGという単位で表されるものであることに思い当たると、話はちょっと見えてくる(正直言うと、『詳注版』の表記が小文字のgだったので、何のことだかよく分からなかったのだ)。

戦闘機のパイロットが大きなGに耐えるために訓練する、とかいう話はよく聞きますので。5Gくらいになると相当厳しいとか。ミラーの注では、コロンビアード砲の発射時は28000Gで、何をしても無駄らしい。

それなら、現実のロケットはどうしているのか。

ロケットの仕組み、などインターネットで調べても、力学的な話ばかりでよく分からない。ウィキペディアでよく大気圏脱出速度、とか言われているものを調べると、まず落ちない速度(人工衛星になるための最低速度)を「第一宇宙速度」、地球の重力を振り切って飛ぶための速度を「第二宇宙速度(脱出速度)」というそうな。そこに「よくある誤解」として、ロケットは最初からそんな速度をだす必要がない、とある。

要するに、地上から離れるだけの推力で上昇していき、徐々に加速していけばいいのである。それに、次第に重力は弱くなるので、加速もそれほど急激な必要はないのかも知れない。空になった燃料タンクを切り離して機体を軽くしていくことも計算に入れて、最低限のGで飛ばす、ということのようだ。

アポロ計画のサターンロケットで3.5G、スペースシャトルは2.5Gくらいだとのこと。

結論として、大砲じゃだめ、ということなのである。燃焼ガスの出力を調整できる内燃機関式のロケットでなければならない。

しかし、こんなことを確認するためにやたら時間のかかることだ。インターネットでもなかなかきちんと説明しているサイトはない。
書店でロケット工学の本を見ても、力学の原理を書いてあるだけで、有人ならどうなるのかまでは書いていなかった。

そんな書店で見かけたのが『ロシア宇宙開発史』

メンデレーエフあたりから、ツィオルコフスキーの理論など19世紀から説き起こし、ガガーリンの有人飛行に至るまで詳細に記述してあって労作としか言いようがない。3月に一度出版されたところ、ロシア語表記の間違いなどで一度回収し、8月31日付で再出版したようだ。

5月か6月頃だったか、いろいろ調べているうちに突き当たったこのサイトと同じ方が書かれているのではないかと思うのだが、何も書いてないのでよく分からない。

最初のところで、19世紀の影響としてやはりヴェルヌが出てくる。ツィオルコフスキーがヴェルヌを読んでいたかは分からないが、現在のロケット推進の基本原理を大体作ってしまった人で、宇宙進出の夢を語り、自分でも『月世界到達!』というSFを書いている人である。

肝心の有人飛行技術であるが、人を飛ばす時に問題になったのは発射時よりも、どうやって生還させるかという帰還時の技術の問題であったそうだ。ミサイルとして開発されたR−7型ロケットを使用したため、発射時の振動や圧力の問題は、核弾頭を搭載するときに検証済だったようだ(P323)。

(新潮文庫)「海底二万里」

(新潮文庫)「海底二万里」(村松潔 訳)上下

 大型書店で見つけてさっそく購入しました。読もうかとした時、予想外の発見に嬉しさが込み上がってきました。それというのも、巻末に「注釈付き」正確には「註」が付いていたことでした。ここまでやってくれたヴェルヌ翻訳本っていえば、(ちくま文庫)「註釈 月世界旅行」ぐらいでしょうか。

 最初に気づいたのは、各章ごとに文頭のポイントを大きくしていることでした。これはよくペーパーバック(原書)に見られる特徴ですね。私が持っている原書といえば、ヘミングウェイの「老人と海」や「シャーロック・ホームズの冒険」それと、W・J・ミラー英訳「海底二万里」でしょうか。

 「註」と照らし合わせて、じっくり味わって読んでいて好奇心をそそられた項目がいくつかありましたのでいくつか取り上げてみました。

3章「旦那様のお気に召すままに」 P41 三人称でしか呼びかけようとせず

6章「全速力で」 P78 上げ舵
8章「動中の動」P123 台所に追い払われた
11章「ノーチラス号」P166 ジョルジュ・サンド

(この項目では、特に興味をそそられました。ishibashiさんが話題にされておられた同じ内容…サンドが「海底旅行」の企画をヴェルヌに提供…云々。翻訳本に入っていると、最新情報に凝ったな。ヴェルヌ研究会の会誌に目を通されたのかな、それとも独自調査だろうか?と推測したくなる。サンドの名を出したのも、「海底二万里」構想の謝意だとか)
 また、図書室の本とサロンの油絵の解説が豊かで好奇心をそそられる。
第15章では、水中銃の解説でオーストラリア人レニー・ブロックが発明した弾丸「ライデン瓶」では、ブロックなる人物は架空の人物。あの「地底旅行」のアルネ・サクヌッセンムと同様もっともらしく作った架空の人物だとか。これが面白かった。

新潮文庫版の注釈付き「海底二万里」がだんとつ最高の翻訳本です。

もっともっと書きたいことがあるけれども、やはりなんといっても帯についていた情報でしょうか。
 「デイヴィット・フィンチャー監督により映画化!」
 「リドリー・スコット監督、サム・ライミ監督によるプロジェクトも進行中との噂」

この2つの情報が気になり、ネットで検索しても最新情報がない。
怖いもの見たさで見てみたいですね。

『メリエスの素晴らしき映画魔術』上映

ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行(Le Voyage dans la Lune)』の幻の彩色版が発見されて、修復作業を経て公開されたのは既報のとおりですが、そこに至るまでの長い道のりをメリエスの生涯とともに描いたドキュメンタリー映画が公開されます。題して『メリエスの素晴らしき映画魔術(原題:Le Voyage extraordinaire)』。明日8月25日から渋谷のシアター・イメージフォーラムを皮切りに、名古屋・大阪・京都・神戸でも順次上映されるとのこと。もちろんこのドキュメンタリーとともに、彩色の復活した『月世界旅行』も上映されますので、お近くの方はぜひどうぞ。

月世界旅行&メリエスの素晴らしき映画魔術
http://www.espace-sarou.co.jp/moon/

夏の雑念

暑い日が続く。

せっかくなのでここでも拡散しておくと、トップページにもあるように、
8月25日(土)午後2時から、日本大学法学部で比較文学会東京支部の特別企画「明治期におけるジュール・ヴェルヌの移入」をやるとのこと。私市先生、新島さん、藤元さんの講義、必聴ものかと。一般聴講可だそうです。(行きたかった・・)

詳しくはこちら

だいたい1ヵ月に1回くらいの投稿間隔だったのだが、連投になってしまった。

このブログの、私の投稿を読んでいる少数の人々のうち、何人かはもしかすると、こいつ会員活動とやらはどうしたのだ、と思っているかもしれないのだが、投稿の内容が頭の中でまとまらないのだから仕方がない。

このままだと自由投稿まで手が回らないおそれが出てきた。どうするかな。

集中力が昔ほどないんだよなあー、などと歳のせいにしてみる。
しかし、最近気が散ることが多い。

(1)たまたま本屋でフィリップ・ロジェ『アメリカという敵』(法政大学出版局)を立ち読みしていたらヴェルヌが出てきた。
フランスの反米主義を歴史的に検証する、という本らしいのだが、なにしろ分厚くて立ち読みで分かる代物ではむろんないし、やたら高いので買う気にもならなかったのだが、ヴェルヌに数ページ割いていて、どうやらヴェルヌ作品における反米主義の徴候を検証している(?)らしいのだが、取り上げているのが『北部対南部』と、『封鎖潜水艦』(水声通信の訳題に従えば「封鎖やぶり」)の二つだけ。どちらも読んでないので(どちらも未訳だと思うが)何とも言えないのだが、ヴェルヌとアメリカ、といえば、ガンクラブ三部作、『神秘の島』、『八十日間世界一周』あたりにも触れないとやっぱり変ではなかろうか。ま、偉い人らしいけど。

(2)結局古本市に行って『ヴァージニア・ウルフ伝』とか分厚い本を買ってしまう。いかん。ウルフの評論集を読んでいたら、今度はジョージ・エリオットを読みたくなってきた。完全にいかん。

(以下さらに私的な興味ばかりなので読まなくてもいいです)

(3)来年の大河ドラマのヒロイン(綾瀬はるか演じる新島八重:同志社大学創設者・新島襄の妻)の夫役(つまり新島襄)がオダギリジョーに決まった。
実はあれこれ予測していたのだ。ヒロイン八重は戊辰戦争に従軍し、会津落城まで奮戦した後、京にのぼり女学校の教員になるが新島襄と出会い結婚。襄の死後、日清・日露戦争で日本初の篤志看護婦のリーダーをつとめ、晩年(昭和3年)皇族以外の女性で始めて叙勲されたそうな。つまり、結婚の前後が結構あって、襄役の拘束期間は案外短そうだったのである。
ということは大物をキャスティングできるのでは、と推測し、本木雅弘、竹之内豊、草なぎ剛(!)など候補を考えてみたのだが、はずれた。
まあ、脚本家の考える人物像に沿ってキャスティングするのだから、外から予測するのは難しいのだけど。

(4)大河のキャスティングといえば、『平清盛』に今度京本政樹が出てくるそうで、マスコミはてこ入れとか書き立てているが、京本も『ちりとてちん』に出演している、脚本家ゆかりの役者であるからサプライズはないのだ。むしろ神木隆之介とかの方がこれまで絡みがなかった分興味深いのだが。

(5)思い出のメロディーに荻野目洋子が出てきて倒れそうになる。懐メロかよ。しかし、同い年のはずだが、当時と変わらない歌と踊りを披露していたので感心してしまった。

で、気が散って集中できない。困ったものだ。いい歳してね。
こんな馬鹿なことばっかり言えるのも、平和だからなのだけれども。

夏の雑感

本を買っておいて読まない、いわゆる積読というのはまことにもったいないものだ。

読めばあっという間に読めるだろうから、そのうち、と思っていた『獣の奏者』の「探究編」「完結編」が文庫におちた。(職場から10分の古本市には行けなくとも、階下の書店には1分で行けるのである)

そもそも、文庫になるまで待てない、と買った単行本なのである。気が付けば3年の月日が過ぎ去っている。私にもあなたにも上橋菜穂子にも、3年という歳月は公平に流れていたはずだ。何のこっちゃ。

しかたなく、買う(買うのかよ)。「闘蛇編」「王獣編」はもともと文庫で持っているのだ。

こうなると単行本はただの場所ふさぎでしかない。未読のままブックオフか何かに売り飛ばす、ということになる。

アントニー・バークリー『試行錯誤』も、昨年思い切って古本で買ったにもかかわらず、読まないまま9月の創元推理文庫のフェアで復刊するらしい。どうせなら『ピカデリーの殺人』からにしてほしかった。これは古本で売れないから、復刊を買わない、という判断になる。

しかし、この復刊フェアのラインアップ、クロフツ『製材所の秘密』とかマニアックですなあ。まだフレンチが出てこない、初期の佳作であるこの作品、話の展開がその後『フレンチ警部とチェインの謎』で反復されてるのを読んでおや、と思った記憶がある。労働として(警察官だからね)探偵を行うフレンチはサラリーマンの鑑というべきキャラクターで、一時期凝ってほとんど読んだが、ずいぶん忘れてしまった。

『文学におけるマニエリスム』が出たので買う。この手の本は解説者が一人しかいないので、どの解説を読んでも似たような印象しか残らないのだが、なんだか今回もよくわからない。超人だか学魔だか知らんが、他にいないのか。まあ、解説に文句を言う前に、本文をちゃんと読んで、積読にしないようにするのが賢明であろう。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』も同様である。

(ところで、この解説で『独身者の機械』も近々再刊と聞く、とか書かれてしまっているな・・確か随分前にも書かれていたような・・・大丈夫なのかしら)

「本棚の中の骸骨」の近刊情報を見ていると、ボルヘス『バベルの図書館 アメリカ編』とか、プイグ『リタ・ヘイワースの背信』とか、面白そうで高い本がいろいろあって恐ろしくなってくる。自制しなければ。あ、『ルパン最後の恋』ってポケミスなのか・・

ここ数日の間に出たらしい「群像」9月号に蓮實重彦の講演録が載っていて、ただちに買い求め、読んで驚愕。『「ボヴァリー夫人」論』、すでに脱稿して校正段階にあるという。来年には出版予定とか。しかし、話半分に聞いておいた方がいいか。蓮實が何らかの形で関わっている本は大概、出版までにおそろしく時間がかかる。

しかし、早く『ジョン・フォード論』も読みたいというのは、酷か。

講演録は積年のテーマが簡潔にまとめられていて、相変わらず大変面白かった。ラッセルを引き合いに出しているところがあって、ちょっとにやにやしてしまう。どうやら、それほど遠いところでうろうろしていたわけでもなさそうだ。

先週までは、何年かぶりに月末の土曜日に休めるかも知れないという可能性があって期待していたのだが、やはり駄目であった。比較文学会行きたかったのだが。

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