記事一覧

夏の雑感

本を買っておいて読まない、いわゆる積読というのはまことにもったいないものだ。

読めばあっという間に読めるだろうから、そのうち、と思っていた『獣の奏者』の「探究編」「完結編」が文庫におちた。(職場から10分の古本市には行けなくとも、階下の書店には1分で行けるのである)

そもそも、文庫になるまで待てない、と買った単行本なのである。気が付けば3年の月日が過ぎ去っている。私にもあなたにも上橋菜穂子にも、3年という歳月は公平に流れていたはずだ。何のこっちゃ。

しかたなく、買う(買うのかよ)。「闘蛇編」「王獣編」はもともと文庫で持っているのだ。

こうなると単行本はただの場所ふさぎでしかない。未読のままブックオフか何かに売り飛ばす、ということになる。

アントニー・バークリー『試行錯誤』も、昨年思い切って古本で買ったにもかかわらず、読まないまま9月の創元推理文庫のフェアで復刊するらしい。どうせなら『ピカデリーの殺人』からにしてほしかった。これは古本で売れないから、復刊を買わない、という判断になる。

しかし、この復刊フェアのラインアップ、クロフツ『製材所の秘密』とかマニアックですなあ。まだフレンチが出てこない、初期の佳作であるこの作品、話の展開がその後『フレンチ警部とチェインの謎』で反復されてるのを読んでおや、と思った記憶がある。労働として(警察官だからね)探偵を行うフレンチはサラリーマンの鑑というべきキャラクターで、一時期凝ってほとんど読んだが、ずいぶん忘れてしまった。

『文学におけるマニエリスム』が出たので買う。この手の本は解説者が一人しかいないので、どの解説を読んでも似たような印象しか残らないのだが、なんだか今回もよくわからない。超人だか学魔だか知らんが、他にいないのか。まあ、解説に文句を言う前に、本文をちゃんと読んで、積読にしないようにするのが賢明であろう。ワイリー・サイファー『文学とテクノロジー』も同様である。

(ところで、この解説で『独身者の機械』も近々再刊と聞く、とか書かれてしまっているな・・確か随分前にも書かれていたような・・・大丈夫なのかしら)

「本棚の中の骸骨」の近刊情報を見ていると、ボルヘス『バベルの図書館 アメリカ編』とか、プイグ『リタ・ヘイワースの背信』とか、面白そうで高い本がいろいろあって恐ろしくなってくる。自制しなければ。あ、『ルパン最後の恋』ってポケミスなのか・・

ここ数日の間に出たらしい「群像」9月号に蓮實重彦の講演録が載っていて、ただちに買い求め、読んで驚愕。『「ボヴァリー夫人」論』、すでに脱稿して校正段階にあるという。来年には出版予定とか。しかし、話半分に聞いておいた方がいいか。蓮實が何らかの形で関わっている本は大概、出版までにおそろしく時間がかかる。

しかし、早く『ジョン・フォード論』も読みたいというのは、酷か。

講演録は積年のテーマが簡潔にまとめられていて、相変わらず大変面白かった。ラッセルを引き合いに出しているところがあって、ちょっとにやにやしてしまう。どうやら、それほど遠いところでうろうろしていたわけでもなさそうだ。

先週までは、何年かぶりに月末の土曜日に休めるかも知れないという可能性があって期待していたのだが、やはり駄目であった。比較文学会行きたかったのだが。

船について

『八十日間世界一周』については何度も読み、何度も書いているのですが、当然ながら、読み尽くした、書き尽くしたというには程遠く、作品の表層的な細部に限定してもいまだ隔靴掻痒の感が残るのは、最重要文献を未だに調査できていないからです。そのことを改めて感じさせられる発見が最近ありました。デパート古本市で雑書=ネタ本を漁るのが最近の「趣味」というか、仕事の一部なのですが、『八十日』に関する章があるというので特に期待もせず買ってきた中川浩一『観光の文化史』がなかなか拾い物でした。読み物的に緩いのが欠点でも長所でもあるような本で、著者は、鉄道関係では結構有名な人なんでしょうか。ホームズの『最後の事件』のスイスへの経路を時刻表片手に検証したりする章もあって、今ならもっと精緻でスマートな研究がありそうですが、素人にはこのくらいのもたもた感の方が親しみやすい。ライヘンバッハの滝の実地調査も、個人的にこの滝を訪れたことがある者には興味深いものがあります。で、肝心の『八十日』の章、まくらにあたる、著者本人としてはさして重要ではない部分に含まれる小ネタにはっとしました。ラングーン号とカーナティック号は実在の船だったというのです。いやはや、『海底二万里』冒頭に出てくる船がことごとく実在なのは気づいていましたが、これもそうだったとは。ヴェルヌの場合、登場人物以外の固有名は実在と疑った方がよさそうですね。特に船の場合、ほとんど歴史上の人物と同じ扱いになりやすい気がします。「イギリス国籍の定期船名辞典として、実用度の高いVernon Gibbs : British Passenger Liners of the Five Oceans, 1963を開いてみると、1800トンの姉妹船として就航したカルナティック、ラングーンの二隻は、ともに薄幸な存在であったと記されている。1862年に竣功したカルナティック号は、1869年9月、スエズ湾で荒天が災いとなって座礁し、全損に帰した由である」「ラングーン号の場合には、1862年に竣功したが、セイロン島南西端に位置するゴールを出港し、オーストラリアに向かう途中、港口に存在する暗礁にふれ、全損に帰していた。1871年11月の事件と、記録されている」。

つまり、両船ともにフォッグ氏世界一周時には存在していなかったわけです。こうしたことが生じた原因として、中川氏は、「事実設定のタネ本として『ブラッドショウ大陸旅行案内』の旧号を用いたにもかかわらず、年代だけは繰り下げたためであったろう」と推測されています。しかし、いかんせん船の事故がいずれも直前というのが気になります。わざわざすでに存在しない船にフォッグを乗せた可能性もないとはいえない。横浜描写(中川氏の章の眼目はこちらですが、すでにこの面では『ジュール・ヴェルヌが描いた横浜』の周到な調査がある今となっては、特にどうということはありません)と同様の資料の古さが原因の可能性は高いのですが、ヴェルヌが『ブラッドショウ』を使ったとして、それがどの号なのか、特定できなければなんともいえません。特定できればほかにも思いがけない発見はありそうなんですよねえ。以前shiinaさんがこの小説のなぞはすべてブラッドショウにあるような気がするとおっしゃっていましたが、確かにそんな気がします。1872年前後のブラッドショウが古本で出たら入手したいと思っているのですが、なかなかピンポイントで出ないし、結構高いんですよね。グーグル・ブックに入っている号もありますけど、年代的にぴったりとはいかないし、ページ数が多くて解像度が悪いと調べにくいこと夥しい。なんとかならないものでしょうか……