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ひとまず・・

おっと、突然ですが、いろいろあってどうもこのブログ欄は本日限りで更新できなくなりそうです。

別の形で続けるのか、・・な?

先日、CSで初代「ゴジラ」を見たばかりで、テレビ中継の「いよいよ最後、さようなら、みなさん、さようなら!」という場面をつい思い出してしまいましたよ。

今見返すと、やっぱりあの映画はすごいです。などと最後まで雑談になってしまった。

とりあえずは、ひとまず、またいずれ。

校正の続き  ある会員の活動40

何とか先月中に校正を終え、発送しました。

そうこうしている内にオリンピックが終わって、パラリンピックが始まりました。こういう間くらいは皆、なかよくしてればいいと思うのですがね。

浅田真央は、たぶん本人もまだ納得してないから世界選手権に出るのではないでしょうか。振り返ってみれば、手放しで喜ぶ演技ではなかった。
陸上だとゾーンに入る、という表現がありますが、まだゾーンに入ってない。
次に期待しましょう。

おとといになって再校がアップされ、またパソコンをじっとにらむ夜。
しかし、この時点で気付いていない間違いというのは、まさに意識の死角をついたものが多い。

さきほど指摘があったのは、必携ともいうべき私市保彦先生の『名編集者エッツェルと巨匠たち』の、

タイトルを間違えてました。

うそお。・・じぇがいくつあっても足りない。確か書いてる間、ずっと脇に置いてたはずなのだ。

という感じで、こうなると本人は絶対に気付かない。
絶対に間違えてないと思い込んでいるから。

(なんか今のくだり新井素子っぽいが)

まあ、そこを自分を突き放し、むちうってチェックを入れるのでありました。

しかし一方で読書会の準備もしなければ。

ハンガリーが舞台なので、雰囲気を出すためにとりあえずバルトークを聴いてみる。
(単純だなあ)
バルトークはもうちょっと後の人ですが、ハンガリーの民族音楽を掘り起こして近代化したのは有名な話。

19世紀はヨーロッパの激動期で、ハンガリーもご多分にもれずむちゃくちゃな歴史的変転があります。その辺も調べるといろいろ面白い。
ヴェルヌはそれを知ってか知らずか好き勝手なことを書いてます。
基本的に農業国らしいのですがね・・

しかし、この話は面白い。読書会が楽しみです。

以下どうでもいい話ですが、今度某生物学者が「ドリトル先生航海記」を、某聞く力のエッセイストが「ウィニー・ザ・プー」を翻訳するそうですね。

なんとまあ、井伏鱒二や石井桃子に挑戦するとは。幕下が白鵬と立ち会うような話ではないか。

たしかに古めかしい日本語だと思う人も増えているようですが、なんでも現代語にすりゃいいってもんでもないでしょうに。

もっとも、中江兆民の「翻訳」も近々出るそうですので、いずれは「ぼくネコです」とか、「石炭ももう積んじゃったし」とか、そういう文章でいいようになるんでしょうね(遠い目)。

校正中 ある会員の活動39

会誌8号で論じた『蒸気で動く家』に、「熊のビフテキ」なる表現をめぐる一節があります。
このドカ雪のときに何の話か、と思われるかも知れませんが、雪についてはしんどいという以外ないので、他の話。

その表現はおかしい、おかしくない、といったコミカルなやりとりなのですが、ビフテキを料理の名前だとすれば一理ある、と理屈を付けてみたわけです。

するとそれを書いてすぐ、ブラックタイガーを車エビと称する惣菜が大問題となりまして、やっぱり世間には通用しないか、と思った次第。

ところが、今度の読書会でヴェルヌの死後出版をとりあげることになり、そうすると当然出てくるのが息子の改作問題。

どういうことか、というのは次の次に出る会誌9号をお読みいただくとして(ひっぱるなー)、改作問題をとりあげようとした途端に、例の、ね。作曲家の話が。

まあ詐欺みたいな話と一緒にしたら怒られるのかも知れませんが、現代日本の問題に次々とからんでくる、ヴェルヌのこのアクチュアリティはなんなのか、と戦慄するわけです。

(たまたまでしょ、と、そこ、つぶやかないように)

まあ、佐村河内の話は、もうちょっと裏をとれよNHK、と誰もが思うところですが(特に報道番組であるニュースウォッチ9は、とりあげるなら改めて自分で調べるべきであった)、障碍者手帳が出てるのが大きいのでしょうね。
きちんと調べて経緯を明らかにするしかないでしょう。もっとも、今病院は個人情報を楯に、情報開示をしませんから、行政の調査を待つしかないかも。

以前、一応聴いてみたのですが、曲そのものにあまり感銘を受けませんでした。印象だけですが、俺は音楽は分からんなあ、と思った程度で、あまり興味はわきませんでしたのです。

こう書いても、なんだか後出しジャンケンみたいですよね。一番あきれたのは、読みもしませんが週刊誌の車内吊りの、某ベテラン女流直木賞作家の言「わたしは怪しいと思っていた」。

なんじゃい、このあからさまな後出しジャンケンは。この人、こんなのばっかし・・・

と、そんな雑談をしてる場合じゃない! ゲラ稿が配布され、今週から怒濤の校正に突入。右で人の校正をしていれば、左で自分の投稿に鋭い指摘が雨あられ。そう言う人に私はなりたい。いやなりたくない。なにを言ってるかわからんほどあわただしくなった。

うむむ、言われて自分のを読み直してみれば、やはりぎりぎりで脱稿したせいか文章表現の乱れが激しい。

面白いのは、他人に指摘されるまでは少しもおかしいと思わないということ。
だからこその校正ですので、がんばって取り組むのであります。

総会+読書会の案内も来ました。会費を振り込まねば。読書会の準備も少しずつ。「ホビット」、どこにあったかな。

新年会2014  ある会員の活動38

あっという間に1月が過ぎてしまいました。
STAP細胞という、人類史、いや地球生物史を激変させるかも知れない発見もありましたが、大多数の凡俗にはまだ関係ない話。
大体リケジョという表現自体が差別的な・・いや、やめときましょう。

先日、誰かが書いてたのを読みましたが、どこかの偉い人が、歳を重ねるほど1年が早く過ぎるように感じるのは、自分の生きてきた年数に対して1年の占める割合が小さくなるからだ、とごくもっともなことを言ってたと。

そんなことは40年も生きてりゃ誰でも思うことなので、さも発見のように引用して書くことではないのでは。

そんなこと言ったら、一日だって早い。子供は行動範囲が狭いし、一つのタスク(行動)が単純だから、一日にこなせるタスク量は多い。大人は行動範囲も広がり、タスクの一つ一つが複雑で時間がかかるから、三つか四つ何かすれば、もう1日は終わってしまう。人間の時間感覚なんてそんなものです。

枕が長くなりましたが、要は新年会からもう一週間経ちまして、簡単にレポートを。

突如寒風の吹きすさぶ中、場所は中野坂上のルーマニア料理店。ヴェルヌ「カルパチアの城」の舞台であります。海にほとんど面してないので、肉・野菜・乳製品が主。麦の大生産地なのですが、ワインもおいしいので、皆でワインを結構飲みました。

いろいろ面白かったですが、以下列挙します。

・ユゴー礼賛。
 「調べものして書くなんてフロベールのような凡人のやることで、二流ですよ」
 「バルザックが偉いと言っても、詩を書いたかっていうんですよ」
・堀口大學の謎の屋敷。小石川にあったらしい。七つの塔に七人の妻が?
・CLAW(黒内さん)の新作アート。私はレム「現場検証」のエンチア人を思い出しました。
 写真撮ればよかった。こちらでご確認ください。
・私はついあまちゃんのことをふられて一瞬熱く語り始めましたが、やめときました。

しかし、一番の問題は会誌9号の読書会のテーマがカルパチアでなくなったこと。

え? 

ルーマニア料理食べてるのに?

新訳の原稿が間に合わないそうです。東欧を舞台の、もう一つの作品に決定。これは晩年どころか死後出版の作品、もちろん未訳。
出版されたものは息子が手を入れているなど、問題いろいろあり、これはこれで大変面白そうな作品。
会誌6号(「魅惑のヴェルヌ」)で紹介されていた、というか、ずいぶん以前には冒頭部分の訳が掲載もされているのですが。

もう一つの問題は、読書会の作品が特集の主題にならない、ということ。

たしかにこれで特集組むのは厳しいか。
もしかしたら、特集なしの自由投稿スペシャルになる?

まあ、あくまで未定の話ですが。まだ投稿したことのない、という方は新規投稿のチャンス到来かも知れませんね。

さらにその次、2015年度にはついに10号を出すという、今後のヴェルヌ研に乞うご期待!

その前に、8号の著者校がこれからなのですが・・

2014年   ある会員の活動37

あらためまして、あけましておめでとうございます。

まさかのスパム投稿から始まった本年の当ブログですが、気を取り直していきましょう。

活動報告としましては、年末年始も読書会の校正、投稿の手直しが続いております。編集担当の方には頭が下がります。

今のスケジュールだと、どうしても年末年始になってしまう、ということで、今年は読書会を3月に繰り上げ、会誌の発行時期そのものを見直すという大きな試みがあります。

なので、もう今から読書会の準備。いよいよ後期、晩期の作品を取り上げる予定です。今のところ、既訳の文庫を読み返している段階。

私の好きなSF作家、スタニスワフ・レムは、代表作「ソラリス」を結末が分からないまま書き進めた、と述べる一方で、その後は、後になればなるほど、戦略的に書くようになった、と言っています。全体の見取り図を決めて、細部を詰める、というような意味でしょう。

作家というものは自然そうなるのかも知れませんが、ヴェルヌも後期になるほどそうした傾向が見えるように思います。逆に言うと、筆が走ってるような感じが全然ない(笑)。

よく、第一作にその作家の全てがあるなどという言い方をしますが、直感的に書いた中に、無意識のモチーフが原型的に出ている、ということなのではないでしょうか。(「ソラリス」は長編第五作ですが)

年末にTVで松任谷由実が、今のライバルは初期の自分だ、と言っていましたが、若い感性で書いたことを理性で反復するのはものすごく難しい。ベルクソンやデリダも、直感とは単純なものではないと言っております。

(もっとも、若くして亡くなった友への挽歌であったはずの「ひこうき雲」が、いつのまにやら飛行機乗り賛歌になってしまうのは、その曲の弱さではないか。最近の曲にはそうした弱さはないと思う)

続編・後期作品好きの私としては、レムの晩年の作品とか好きなのですが、世の中はやっぱり「ソラリス」が好きのようです。後期ヴェルヌ作品の魅力を発見していくのが、これからの課題であり、楽しみとも言えるでしょう。

ところで、藤原編集室の近刊予定表を見ていると、国書刊行会のレム・コレクション「変身病棟・挑発」が予定から消えてしまっている! どうしたのだ!
沼野充義はハルキなんぞにうつつを抜かしてないで、早く訳してくれ!

今年はなるべく本を買わない、むしろ整理する、という目標があるのですが、ヴェルヌの新刊、ナボコフ「アーダ」の新訳(たぶん若島正)、ピンチョン「重力の虹」新訳(佐藤良明)、蓮實重彦「ボヴァリー夫人論」が出たらこれは無条件に買うしかない。藤原編集室のラインナップを見ていると、マイリンク「ゴーレム」やウォー「ピンフォールドの試練」も出るらしい。どうしようか。

「ピンフォールドの試練」は集英社世界の文学から落としたものか。そうすると、ビュトール「段階」とか、ブロッホ「ウェルギリウスの死」とかもそろそろ・・無理か(笑)

ま、極力買わない方針で行きます。とほほ。

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