会誌8号で論じた『蒸気で動く家』に、「熊のビフテキ」なる表現をめぐる一節があります。
このドカ雪のときに何の話か、と思われるかも知れませんが、雪についてはしんどいという以外ないので、他の話。
その表現はおかしい、おかしくない、といったコミカルなやりとりなのですが、ビフテキを料理の名前だとすれば一理ある、と理屈を付けてみたわけです。
するとそれを書いてすぐ、ブラックタイガーを車エビと称する惣菜が大問題となりまして、やっぱり世間には通用しないか、と思った次第。
ところが、今度の読書会でヴェルヌの死後出版をとりあげることになり、そうすると当然出てくるのが息子の改作問題。
どういうことか、というのは次の次に出る会誌9号をお読みいただくとして(ひっぱるなー)、改作問題をとりあげようとした途端に、例の、ね。作曲家の話が。
まあ詐欺みたいな話と一緒にしたら怒られるのかも知れませんが、現代日本の問題に次々とからんでくる、ヴェルヌのこのアクチュアリティはなんなのか、と戦慄するわけです。
(たまたまでしょ、と、そこ、つぶやかないように)
まあ、佐村河内の話は、もうちょっと裏をとれよNHK、と誰もが思うところですが(特に報道番組であるニュースウォッチ9は、とりあげるなら改めて自分で調べるべきであった)、障碍者手帳が出てるのが大きいのでしょうね。
きちんと調べて経緯を明らかにするしかないでしょう。もっとも、今病院は個人情報を楯に、情報開示をしませんから、行政の調査を待つしかないかも。
以前、一応聴いてみたのですが、曲そのものにあまり感銘を受けませんでした。印象だけですが、俺は音楽は分からんなあ、と思った程度で、あまり興味はわきませんでしたのです。
こう書いても、なんだか後出しジャンケンみたいですよね。一番あきれたのは、読みもしませんが週刊誌の車内吊りの、某ベテラン女流直木賞作家の言「わたしは怪しいと思っていた」。
なんじゃい、このあからさまな後出しジャンケンは。この人、こんなのばっかし・・・
と、そんな雑談をしてる場合じゃない! ゲラ稿が配布され、今週から怒濤の校正に突入。右で人の校正をしていれば、左で自分の投稿に鋭い指摘が雨あられ。そう言う人に私はなりたい。いやなりたくない。なにを言ってるかわからんほどあわただしくなった。
うむむ、言われて自分のを読み直してみれば、やはりぎりぎりで脱稿したせいか文章表現の乱れが激しい。
面白いのは、他人に指摘されるまでは少しもおかしいと思わないということ。
だからこその校正ですので、がんばって取り組むのであります。
総会+読書会の案内も来ました。会費を振り込まねば。読書会の準備も少しずつ。「ホビット」、どこにあったかな。