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夏の雑談

よくもわるくも、昔ほど夜更かしができず、23時過ぎには眠くなってしまう。

しかも今の季節は暑いので、休日でも自然に7時頃には起きてしまう。一見健康的だが、たっぷり寝るにも若さがいるということだ。心境としては初老である。

したがって、オリンピックのいいところは大概翌日のニュースで観ることになる。もともと競泳とかにはあまり興味がないけれども、サッカーも体操も卓球もバドミントンも全然生で観ていない。
さすがに女子サッカーが決勝トーナメントになったので、やっと録画して今観ている始末。ブラジルもなぜ勝てないのだ、というくらいの個々の身体能力と攻撃力なのだが、それを封じ込めたなでしこの守備力とすばやく攻撃に移行する連携のすごさ。そしてやっぱり澤すげえな。

あとは、フランスやアメリカが使う、ロングパスで前線に放り込んで高速でゴールを狙う、中盤を「すっとばす」戦法にどう対応するか、なのだが・・

さて、ちょっと前にプレイヤード版ヴェルヌをゲット。そこまで指定しなかったのだが、二巻をセットで化粧箱に入れているヴァージョン。解説や注釈はよく分からないのでいつかじっくり読むことにする。

『この人を見よ』はヴェルヌ書店で予約していたので発売後ほどなく着。少しずつ読む。ちとネタバレになるが、後半中野重治が出てくる。なんだか最近中野の名をよく目にする。それだけ時代が巡った、ということなのか。ただ、講談社文芸文庫『斉藤茂吉ノート』の帯にある、「生誕120年」というのは明らかに間違い。まだ110年だ。

こういうあからさまな間違い、というのは単なる確認不足に過ぎない。ちょっと以前、誰だか忘れたが、『ガリヴァー旅行記』について、「誰でも知っているが、ガリヴァーが小人国で縛り付けられているところから始まる」と書いていた。『ガリヴァー』は、刊行者なるものの「刊行の辞」から始まり、ガリヴァーが簡単に生い立ちと出航の経緯を語るところから始まるのだ。難船して漂着した島で疲れて眠ってしまい、目覚めると縛られていたという次第。『ロビンソン・クルーソー』ほど前置きは長くないが、無視していい細部ではない。

ちょっと本棚をあたって確かめればすむ話なのだ。今月の「S−Fマガジン」のレムの著作リストも、『泰平ヨンの未来学会議』を「未来会議」にしていたり、『未来学会議』と『現場検証』を短編集に分類したりしている。まあ、確かに『未来学会議』は短編集に収録された中編なのだが、そんなこと言ったら『GOLEM ⅩⅣ』だってもともと短編の中編化である。

「泰平ヨン」シリーズは、短編が次第に複雑な長編に変貌して行くところが、レムの小説歴を考えるうえで非常に重要なのだが。

一人で文句を言いつつ、石橋氏がCyrus Harding42さんに勧めていたサイトをチェック。『文学におけるマニエリスム』、やっぱり買わないとだめか。

何と言っても、9月に河出文庫からフーコー『知の考古学』が新訳で出るのが驚異。現行訳は何度読んでも「言表」の定義付けが今ひとつ分からないので、新訳に期待。

国書刊行会のレム・コレクションは予定が未定らしい。そんなことだから間違えられるようになるのだ。

まあいいか。『八点鐘』を寝る前に一話ずつ読む。気楽な読書が一番。