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『八十日間世界一周』140年

今年はなんでも『八十日間世界一周』140周年記念だそうで、白水社の雑誌「ふらんす」の四月号から「対訳で楽しむ『八十日間世界一周』」という全六回の連載を担当させていただくことになりました。そこで改めてフォリオ・クラシック版を精読しなおしたわけです。岩波文庫の鈴木啓二訳、光文社の高野優訳、田辺貞之助訳、そしてウィリアム・ブッチャーの英訳を傍らに置いて。いろいろと細かい発見があって、何度も読んだはずなのに読めていないなと思いましたが、とりあえず各種訳について一言いっておきますと、高野訳は問題があると出た時から思っていましたが、今回ざっと眺めた限り、翻訳者の分を超えた補筆のあまりの多さにあきれました。特に登場人物たちの心情を勝手に忖度して説明しすぎる。それぞれの説明は解釈として興味深いし、適切だと思いますが、説明になった途端に通俗的になる。新訳の読者はこうまで手取り足取り解説してもらわなければ理解できないという老婆心としか思えず、端的に読者をバカにしています。段落の勝手な組み替えや訳し落としについてはなにもいいません。光文社新訳文庫は『赤と黒』『カラマーゾフ』の誤訳騒動で物議をかもしましたが、はっきりいって『八十日間』も十分に騒がれる価値がある。そうならなかったのは、やはりヴェルヌはどうでもいいと思われているからでしょう。

腹が立ってきましたが、高野訳にはいいところもあって、既訳(僕は今回は旺文社文庫は参照できませんでしたが)二種が間違っているところが直っている個所がいくつかあります。全体として、訳文の調子が原文に近いのはやはり鈴木啓二訳で、この翻訳が一番おすすめであることに変わりはありませんが、細かいところで意味の取り違いと思われる個所が意外とあり、細部では田辺訳の方が正確なことが多いようなので、参照していれば避けられた瑕疵という感じで残念な気がします(ただ、田辺訳には時々ポカがあります)。一番正確なのはやはりブッチャーの訳でこれに匹敵する邦訳は今のところありません。ちょっとおもしろい発見があったのですが、田辺訳は挿絵版ではなく、通常単行本の本文で訳しているので、はっきりした異同が一か所あります。アメリカで壊れかけた吊り橋を列車でわたるシーンの直前、対岸の駅までどれくらい距離があるかというところ、田辺訳の方が状況説明が詳しいのです。ブッチャーはなぜかこの異同を見落としています。

「そうです」と、車掌が答えた。「それに、歩いて駅まで行くのにそれくらいの時間が必要です」
「だが、駅はここから一・六キロぐらいのものだろう」と、旅客のひとりがきいた。
「そりゃ、一・六キロですが、河の向こう岸にあるんですよ」
「その河は船でわたれないのか」と、大佐がきいた。
「わたれません。河は雨で水かさがましています。それに、激流ですから、徒渉りのできるところをさがすために、北へ一六キロばかり、遠まわりをしなければならないのです」

これは草稿もそうなっているので、挿絵版でヴェルヌが短く書き直したと思われますが、意図がよくわかりません。

映画「ミステリアス・アイランド2」

 先ほど、新作映画情報を探っていたら…、ジュール・ヴェルヌがらみの映画「ミステリアス・アイランド2」の情報が流れていました。最初、見つけた時びっくりしました。

https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=009162

オフィシャル・サイトの公開映像を見る限り、1961年の映画「SF巨大生物の島」のリメイクらしいです。3月下旬公開。いまはやりの3D映画ですね。

ネモ船長は出てくるのかどうか分からないけれど、出てくるとしたら、どんな俳優が演ずるのか興味津々です。あとノーチラス号とか。

旧作品では、ネモ船長はうすら笑いを浮かべ、でっかい貝殻のタンクを背負っていましたけど。

Lulu

オンデマンド形式の出版やe-bookの販売をしているLuluに注目すべきヴェルヌの翻訳そのほかが幾つか出ており、少し前から気になってはいました。特にロン・ミラーという人が精力的にヴェルヌ翻訳を出しているので、僕個人の翻訳作業の参考にもなるかと思って取り寄せてみました。届いたばかりなのでまだ拾い読みした段階ですが、少しご紹介します。

まず注釈つきロビュール。『世界の支配者』も入っています。手塚伸一訳『征服者ロビュール』、榊原晃三訳『世界の支配者』はともに信用のおけない杜撰な翻訳で、到底研究・評論には使えませんので、フランス語は読めないが、英語がある程度読めるという方はこちらを手元に置いておいた方がいいでしょう。『征服者ロビュール』の場合、特に飛行機関係の固有名の調査が厄介で、僕もかなり同定しましたが、不明の人名がまだまだ残っています。実は、ミラー氏の訳でも僕がわからなかった人名の多くには注が付いていません。これはミラー氏も僕もチャヌートという人が十九世紀末に出した飛行機の歴史に関する本を主要な情報源にしているせいで、これに漏れている人名は特定できていないという次第。ただ、特定された人たちについては、それぞれが考案した飛行機の図版もちゃんとすべて入っていますし、簡潔な解説もついているので便利です。

http://www.lulu.com/product/paperback/the-annotated-robur/16129046?productTrackingContext=product_view/more_by_author/right/2

ロン・ミラーがどういう人なのか、今回初めて知ったのですが、SF系のイラストレーター兼ライターのようです。ディズニー・ランドのヴェルヌ関係のアドヴァイザーもしているとwikipediaにはありましたが、専門研究者ではありません。したがって、草稿も見ていませんし、ヴェルヌの情報源も特定していません。

ロン・ミラー氏のサイト
http://www.black-cat-studios.com/

同じく、ロン・ミラー氏訳のガン・クラブ三部作(ただし、『地軸変更計画』については、十九世紀の英訳を手直ししたもの)。

http://www.lulu.com/product/paperback/the-gun-club-trilogy/1237503?productTrackingContext=product_view/recently_viewed/left/4

これはざっと見た限りではそれほど精度の高い翻訳という感じがしませんでした。

そして、〈驚異の旅〉ガイド。全頁地図と図版です。図版は主に機械関係。ほぼすべてミラー氏自身の手になるものですが、これまたそれほど精度が高いとはいえません。しかし、〈驚異の旅〉全作品の地図が網羅されていますので、便利なことは便利な気がします。

http://www.lulu.com/product/paperback/extraordinary-voyages/415429?productTrackingContext=search_results/search_shelf/center/4

最後にフランスで注目すべきDVDが販売されていますのでご紹介。60年代から70年代にかけてフランスで制作されたヴェルヌ原作のテレビ映画。『黒いインド』『ヴィルヘルム・シュトーリッツの秘密』『ザカリウス師』の三本を収録。特に『黒いインド』は評判がいいので楽しみです。

http://www.amazon.fr/Coffret-Jules-Verne-Wilhelm-Zacharius/dp/B005XQ90BG/ref=sr_1_sc_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1328335325&sr=1-1-spell

校正  ある会員の活動16

1月も終わりであるから、活動報告をしておかねばならない。

会誌6号の原稿は編集長のところに集まりつつあり、私のところにも校正依頼があった。

もちろん、刊行までは内容は言えないが、実に興味深い内容だった。

とある著名な文学者(作家)のヴェルヌとの関わり、特に今回の特集である『神秘の島』との関わりを論じているのだが、その文学者の高い芸術性の中にヴェルヌが息づいていることを如実に示し、感動すら覚える内容なのである。

ぜひご購読いただきたい。

私と言えば、その作家の作品は少々敷居が高いと思っていて、今までちゃんと読んだことがなかったのだが、そしてもちろん容易に読み込めるような簡単な作品ではないのだが、初めて色々と目を通してみたりしたのだった。

すると、校正原稿の内容がさらによく分かったりして、ますます楽しい。

そんなことをしていたら、校正を戻すのがちょっと遅くなってしまった。編集長すみませんでした。

他に、読書会の校正などもあり、先週のうちに提出した。いよいよ佳境であろうか。

ところで、一部報道があったかと思うが、NHKが4月から『ふしぎの海のナディア デジタルリマスター版』を放送するそうだ。

これは知っている人は少ないかも知れないが、NHKは次年度の予算と放送計画が承認されると、ほどなく放送番組の内容について説明文をPDFでホームページにアップする。「経営情報」というページなので誰も気づかないと思うのだが、平成24年度の放送番組と番組表がもう出ている。

もちろん、最近はNHKも3ヶ月を1クールとして番組の入れ替えを細かく行うので、年度の番組表と言っても事実上4月から7月までのものでしかない。個人的には「タイムスクープハンター」が火曜の夜10時50分からの枠で復活するのが嬉しい。しかし、30分枠であるから、前シリーズと比べると約半分の時短である。
2回で1話、前後編タイプの編成にするのか。
それに、この枠は鳴り物入りで始めた「夜ドラ」の枠である(今は優香の主演ドラマをやっている)。「夜ドラ」、もう終わりか。それとも、「タイムスクープハンター」を「夜ドラ」としてやるのか。扱いの気になるところだ。

ま、それはともかく、『ナディア』は教育テレビ(あ、今はEテレか)土曜午後5時55分から放送予定のようです。

スタールとジョアノ

たまたま必要があって、この数日、ツルゲーネフの『けむり』を読んでおりました。最近の漂白されたような「新訳」たちの日本語の貧しさに染まった目には、ちょっと悪乗りしすぎのような神西清訳も慣れてくると心地よく、いま必要なのは(注による誤訳訂正も含めた)旧訳再見ではないかと天に唾を吐くようなことを思ったり、内容的にもいくつかの点で非常に興味深かったのですが、どうでもいいディテールにハッとしました。物語も大詰め、バーデン=バーデンで初恋の人に再会した主人公が駆け落ちの約束を取り付けたところへ、相手の夫が入ってきます。そして、夫婦の間でこんなやりとりが。

「お約束は守りますよ」
「おやどんな? ちょっと伺いたいもんだね?」と夫がきいた。
 イリーナはにっこりした。
「だめ、これは……内々の話。ちょっと旅行のことなんですの(セ・タ・プロポ・デュ・ヴォアイヤージュ)……気の向くままにふらりとね(ウー・イル・ヴー・プレーラ)。あなたごぞんじ、スタール夫人の書いたもの?」
「ああ! あれか、知ってるとも。とてもしゃれた挿絵がはいっていたね」(二十一章末)

スタール(Stael)夫人……これはもちろんStahlのはずです。この夫婦がスタール夫人の話をするとは思えない。「お望みの場所への旅Voyage où il vous plaira」は、エッツェルがスタール名義で書き、トニー・ジョアノが挿絵を描いた本で、サロン向けの流行書でした。軽薄でフランスかぶれなロシア人夫婦でも手に取って当然の本、というわけです。とはいっても、この本、ジョアノの挿絵は繊細なグランヴィルといった感じでいいですし、スタールの本文も悪くなく、この種の挿絵本としては十分に佳作といえます。もっと知られて然るべき本だと思います。ツルゲーネフはエッツェルと昵懇の間柄で、パリはもちろん、バーデン=バーデンでも親交があったはず。自作の仏訳書の刊行者でもあるエッツェルの本をさりげなく宣伝しているんですね。神西先生の教養が仇となってツルゲーネフの誤記と好意的に解釈してしまった結果生じた誤訳ですね。

実は同じ本が別の作品の中で別の訳者によってひどい目に遭っているのを目にしたことがありました。フッツ=ジェイムズ・オブライエン「あれは何だったのか」(大滝啓裕訳、『金剛石のレンズ』所収)。

ジョアノが『ある航海、あるいはお気に召すまま』に付した挿絵の一点には(以下略)

où(英語のwhereに当たる)とou(英語のorに当たる)の混同によるタイトルの誤訳も、スタールとジョアノの作品自体がもっと知られていれば避けられたはずで、その点、フランス文学研究の責任というべきでしょうか。吉川先生訳のプルースト『失われた時を求めて』でスタールの名が少しは浸透することを願いたいところです。

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