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春の雑談

いつも回してもらってすみませんと言いつつ、最後に回してくるとはどういうことですか(笑)。

現在、会誌は最終の編集段階(らしい)。次の特集の準備にはまだとりかかれておらず、要はある会員の活動としてはほぼ停止中なので、今回はせっかく回してもらったので雑感を少々。

そういうものの、私はロケットやミサイルに詳しいわけではないので(そこは大橋さんや幕田さんの本領でしょう)、素人なりに愚考すると、まずもってロケットとミサイルの違いと言えば、これはまず目的が違う。ロケットは輸送が目的で、ミサイルは攻撃目的。

つまりミサイルは当てればいいわけで、これは今も昔も変わらず弾道計算の世界(といっても結構複雑)。ロケットは軌道修正して帰ってこなければならないわけで(例:はやぶさ)、ミサイルより計算はさらに複雑なはず。

しかしヴェルヌの場合は、『地球から月へ』の場合も当初帰ってくる気がなかった(!)ので、月に当てるべく弾道計算しかしてなかったのでした。

で、『ベガンの5億フラン』のシュルツ先生の場合。まず、多分弾道計算はしたのだろうと考えます。

なぜって、それもしないで山の向こうに大砲を撃つやつはいくらなんでもいないだろうから。

それが大気圏脱出速度を超えることまでは想定していなかった、と。

でも、シュルツの大砲って射程距離が40キロだっていうから、火薬の量を間違えただけかも(射程距離40キロって、戦艦大和の主砲と同程度でしかないのです)。

逆に、今回のように、発射直後に空中爆発して失敗、というオチをなぜ『ベガン』で採用しなかったのかというと、多分一応毒ガス(炭酸ガス)弾だったから、空中爆発では始末がつかないというヴェルヌの気遣いだったのではないでしょうかね。爆発しないまま、大気圏外へ放り出してしまうというのは、当時の発想としてはやはり画期的で、思いついたもん勝ちですね。

現実には今回の燃料には毒性があるということですので、ヴェルヌのようにちゃんと話をまとめてくれる人はいないわけです。

しかし、ミサイルではなくロケットだった、という可能性はなかったのか。

某第一書記がはやぶさタン萌えでロケット開発に力を・・・あ、やめとこう。

あと、科学啓蒙教育としてのヴェルヌ、ひいてはSFの利用、ということになると、戦後日本でもそうだし(核エネルギーとか)、40〜50年代アメリカSF全体のイデオロギーについて考えなければいけなくなってしまいますのでパス。でも、元々『教育と娯楽』雑誌の趣旨がそうなのだから、某国でも通用してしまうところが逆にすごいのか。

でも、『ベガン』の鋼鉄都市や某国の富国強兵科学啓蒙もそうですが、フランス市の衛生規律科学啓蒙も、会誌でやったように相当気持ち悪いものです。『2年間の休暇』を読むときには、そういう視点は封印しなければいけないのか? 現代ヴェルヌ受容の問題であることは確かですね。

長くなったのでこの辺で。全く話は変わりますが『梅ちゃん先生』、視聴率連日20%超えだそうで、私の予想は今のところ大はずれ。そんなにみんな安心前向きドラマが観たいか。
まあ、『カーネーション』のラストは私の大好きなメタフィクションオチだったので満足至極。