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「〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険」の感想

(左右社)
「〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険」(石橋正孝著)

 この本はすべて読み切ったわけではありませんけれど、もう一冊の「名編集者エッツェルと巨匠たち」(私市保彦)という分厚い本でも伝えきれていない、エッツェルのもう一つの顔がうかがえる凄い本だと感じ入っていました。フランス文学史のなかでエッツェルの存在がいかに巨大だったのか、改めて感服しまくっていました。

 削除しなければならなかった描写が多くあったにもかかわらず、エッツェルが見逃していた差別描写があった。それに注目して新たな視点で描いたもうひとつの評論「文明の帝国」は貴重な資料だと思いますね。

 この「文明の帝国」のなかで微妙だなと思ったのは、「二年間のバカンス」で黒人のモコ少年に料理を任せているのは、当時の考え方で差別的に「面倒なことは召使にやらせろ」という感情から出ていたものだとか。仮にこの「十五少年」を映像化したとする。モコに「料理は得意ですからやらせてください」と言わせたら、この一言で原作の差別の空気が消えてしまうと私は思います。実際、フランスで映像化された時キャラクターのモコ少年は削除されていたとか。黒人差別のあった時代の作品だから神経質になられたのでしょうね。

 さらに「海底二万里」(1969年刊行)のなかでは、パプア島の島民を人食い人種だという描写がある。それでも救いがあるのはコンセイユが撃った銃が酋長の腕輪を砕いた時「たかが貝だ!人間の命と比較にならない」とアロナックスに言わせることで同じ人間だと認めていることで心が温かくなるものがあります。

 その後「八十日間世界一周」(1872年)のなかでは「パプア島の未開人の姿は見えなかった。彼らは人類の階梯の最下位に位置する存在である。しかし彼らを食人種とするにはあやまりである。(岩波文庫「海底二万里」)P180から引用」というのがあります。
 これから分かるのは、ヴェルヌは「海底二万里」で書いたパプア島民についての描写を謝罪したのではと思いたくなります。そう思ったのは、ヴェルヌは船乗りや、交易商人から海の向こうの情報を得ていたそうだから。もしかしたら、エッツェルの指摘なのかもしれない。「人類の階梯の最下位…」はエッツェルの見落としというよりも、100年前の文化人ですから気づかなかったのでしょうね。

ちょっとつまらないことだけど、私の少年時代、ジャクソンズのなかのマイケル・ジャクソン(当時少年)をテレビで見て「黒んぼ」と呼んでいたことがあります。差別というよりも「…ちゃん」というような親しみのこもった言葉。この当時の日本ってことばに鷹揚だったのです。同世代の方ならご存知かもしれませんが。ちなみに私は昭和36年生まれ。50代です。

 話が脱線してしまいましたけど、100年前の海外文学や日本文学まで差別表現があっても時代の作品ですから鷹揚にならなければならない。2013年現代の価値観で批判する訳にはいきませんからね。よく文庫本の小説の終わりのページに「…この時代から鑑みて原文を尊重…」とありますから、それに倣うしかないのでしょう。

 しかし、ヴェルヌには残酷趣味があったので削除しなければ読みに耐えなかった。ヴェルヌのほとんどの作品にかかわっているエッツェルの校正をみると、アマチュアの私から見ても驚異の旅シリーズは、ヴェルヌとエッツェルの共同著作だと思いたくなります。

 「〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険」を最初に読んでびっくりしたのは、「八十日間世界一周」のオリジナルがエドゥアール・カドルだとか。他にも興味のある人物から検索して読む楽しみもあります。また手ごわい個所もあります。

 映画評論みたく書けば、「いや~、エッツェルってホントに凄いもんですね。ではまた楽しませていただきます」ということでしょうか。

ずいぶん長くなってしまいましたので、「永遠のアダム」感想は日を改めて書かせて頂きます。