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読書会  ある会員の活動12

あっという間に10月になってしまった。今年ももうあと3カ月である。

とてつもない変化が日本でも世界でも起きているのだが、日常が全く変わっていないまま、どんどん日が過ぎていくこの奇妙な感覚は何なのだろうか。

何十年か経った後、「あのころの日本人は何を考えてたんだろうか?」と不審がられるのではなかろうか。答えは、落ち着いて何か考える余裕もないまま日々に流されてしまった、である。

ヴェルヌ研でも大きな変化があった。会誌の編集担当が第6号から変わるとのことである。今まで国内最高水準であろう(私は文フリもコミケも見ていない、SF大会の同人誌販売しか見たことはないが、おそらく外れていないと確信する)誌面のクオリティを一人で支えてきたsyna氏だが、しばらくお休みされるそうだ。今までの輝かしい成果にどれだけの賛辞をささげればいいか分からないし、改めて大きな感謝を申し上げたい。ありがとうございました。そして、面倒くさい原稿ばっかり送って、本当にすみませんでした。

しかし、syna氏は優れた書き手でもあるのである(会誌1号、2号参照)。またいつか、投稿も読みたい。

それから、新しい編集担当の方には今からお詫び申し上げます(!)。

さて、流されゆく日々の中で、読書会から3週間近く経ってしまったが、簡単にご報告しておきたい。9月11日に行われたのである。

以前も書いたとおり、最初に石橋会長の講義が1時間半ほど。成立の経緯、元ネタや、文学ジャンル史上の位置づけ(いわゆるロビンソン変形譚としての)、ヴェルヌ作品系譜上の位置など、大変勉強になった。

それから討論。意外にも、納得いかない派が多く批判的意見が続出。世界的には一番評価が高い作品のはずなのだが。

個人的には、原稿を書いているうちに大分見方が変わってきたので、最近流行りの安全運転的発言になってしまったような気もする。

最後に、映画化作品を鑑賞。一番古いソ連版が一番原作に忠実。スターリン時代なのだが、全く問題なかったようだ。そのこと自体が問題かもしれない。ハリウッド版はレイ・ハリーハウゼンのダイナメーションが、・・浮いていた。フランスTV版は思い切り改作。しかしオマー・シャリフが出ていた。

その後、いつもの飲み屋で一杯やったのであった。読書会後としては過去最大12名(11名?)での飲み会であった。

さて、読書会も終わったし、あとは原稿を書くしかないのだが・・今のところ、あまり進んでいない。はたしてどうなるのか。

スクリュー島

9月29日付朝日新聞の論壇時評の末尾に、高橋源一郎氏が以下のように書いたとのこと。

原発事故を科学技術の歴史の中に位置づけてみせた山本義隆は、『海底二万里』のヴェルヌが、別の近未来小説の中で、科学技術の粋を集めた人工島が人間関係のもつれによって崩壊することを描いたことに触れ、「科学技術が自然を越えられないばかりか、社会を破局に導く可能性のあることを、そしてそれが昔から変わらぬ人間社会の愚かしさによってもたらされることを、はじめて予言した」と書いている(〈5〉)。どれほど科学技術が進歩しようと、それを扱う人間の愚かしさは今も昔も変わらない。そして、そのことにだけは、人は気づかないのである。

〈5〉『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)

山本義隆氏がヴェルヌに触れていたことは小耳にはさんでいましたが、こうして朝日新聞に取り上げられたことで『スクリュー島』(邦題は『動く人工島』)に少し脚光が当たるようですとうれしいですね。この邦訳は完訳ではなく、技法的にも興味がある作品ですので、初完訳を出すべきなのですが、関心のある出版社の方はぜひ研究会までご連絡ください。というのは半ば冗談半ば本気というやつですが、この作品はヴェルヌには珍しい近未来小説で、しかも全編現在形で書かれています。一度きちんと読み直さなければと思いつつ、なかなか機会が得られずにいるのですが、正直、SF的側面だけがいたずらに評価されているものの、作品としてはあまりすぐれたものではないという印象を持っており、その点も検証しないといけないのですが……。