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スクリュー島

9月29日付朝日新聞の論壇時評の末尾に、高橋源一郎氏が以下のように書いたとのこと。

原発事故を科学技術の歴史の中に位置づけてみせた山本義隆は、『海底二万里』のヴェルヌが、別の近未来小説の中で、科学技術の粋を集めた人工島が人間関係のもつれによって崩壊することを描いたことに触れ、「科学技術が自然を越えられないばかりか、社会を破局に導く可能性のあることを、そしてそれが昔から変わらぬ人間社会の愚かしさによってもたらされることを、はじめて予言した」と書いている(〈5〉)。どれほど科学技術が進歩しようと、それを扱う人間の愚かしさは今も昔も変わらない。そして、そのことにだけは、人は気づかないのである。

〈5〉『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)

山本義隆氏がヴェルヌに触れていたことは小耳にはさんでいましたが、こうして朝日新聞に取り上げられたことで『スクリュー島』(邦題は『動く人工島』)に少し脚光が当たるようですとうれしいですね。この邦訳は完訳ではなく、技法的にも興味がある作品ですので、初完訳を出すべきなのですが、関心のある出版社の方はぜひ研究会までご連絡ください。というのは半ば冗談半ば本気というやつですが、この作品はヴェルヌには珍しい近未来小説で、しかも全編現在形で書かれています。一度きちんと読み直さなければと思いつつ、なかなか機会が得られずにいるのですが、正直、SF的側面だけがいたずらに評価されているものの、作品としてはあまりすぐれたものではないという印象を持っており、その点も検証しないといけないのですが……。

コメント一覧

sansin 2011年10月02日(日)16時09分 編集・削除

想像の島、ということで、ブッチャー氏が『神秘の島』の系譜上に『スクリュー島』を位置付けてました。
そういえば亡命した王族が住んでたり、照応する部分がなくはないですね。

しかし、今回のアクシデントと安直に対比するのはどうなんでしょうか。人間の愚かしさ、と一口に言っても、愚かしさの質が違うようにも思います。自然を越えられない、というより、自分で作ったシステムを制御できないことが問題なのですし。

それはさておき、『スクリュー島』で気になっているのは、馬車の事故の後、スタンダート島の関係者と出会う村に行く前で熊に出会うことですね。物語では何の脈絡もないのですが、『グラント』第三部のハリー船長、『ミシェル・ストロゴフ』の熊に続く三匹目の導きの熊なのではないかと思っています。『ハテラス』の白熊も含め、熊の役割は一度くわしく見てみたいですね。

ishibashi 2011年10月03日(月)22時30分 編集・削除

『スクリュー島』については、依然synaさんのサイトの掲示板に、この小説を元ネタのひとつにしたアルノー・シュミットの傑作『学者の共和国』を話題にしたことがあったのを思い出しました。その時、シュミットでは、確かに人工島が「動いている」感じがするのに、ヴェルヌにはそういう感じがしないと書いたような気が……。シュミットは翻訳不可能なのかもしれませんが(僕は仏訳でいくらか読んだだけですが)、SF的奇想にあふれ、スィフト的なこの作品あたりを手始めに訳が出ないものでしょうか。本当にすごい作家だと思うんですが。シュミットには終末ヴィジョン全開の小説もいくつかあって、これがなかなか元気が出てくるんですね。古井由吉の言葉じゃないですが、やはり終わりを語ると元気が出てくるという。シュミットはヴェルヌが好きで、ほかにもヴェルヌネタの小説がありました(地下小説とか)し、ヴェルヌ論も二編くらいあります(ドイツ語原文しか手元になく、読めない……)。彼はコリンズも好きでなんと『白衣の女』の翻訳もしており、これまた読めもしないのに、ドイツに行ったときにお土産に買ってきました。