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コラリー号異聞

作家・翻訳家の中田耕治氏が1977年の日記を少し公開していて、その中の5月7日の項に以下の記述あり。同時代の反応として歴史的興味があります。
http://www.varia-vie.com/sunclip/page1.html

 「ユリイカ」特集、「ジュール・ヴェルヌ」を読む。少年時代にヴェルヌを耽読したので、あらためてジュール・ヴェルヌを知ることに興味があった。論文としては、和市保彦の「夢想家ヴェルヌ」にいちばん啓発された。
  従妹のカロリーヌを愛した少年は、珊瑚の頸飾りを手に入れて贈ろうと考える。
  こっそり家をぬけ出したが、そのまま「コラリー号」に乗り込んでしまったというエピソード。家に連れ戻されてから、母に「ぼくはもう空想のなかでしか旅をしないんだ」といったとか。
  和市保彦は、この事件のなかに、後年のヴェルヌの作品の構造をとく鍵があると見る。マルセル・モレは、Coralie が Caroline の、そしてCorail と Collier のアナグラムと見ている。こういう暗合から、和市保彦は、現実の船旅への憧憬があったというより、言葉の暗示への執着、それがもつ謎への挑戦という、より強い感情につき動かされたのではないか、という。
  私が少年時代にヴェルヌに熱中したのは、やはり似たような傾向があったためか、という気がする。私もアナグラムが好きなのだ。千葉に移った当座、新検見川と Hemingway、稲毛と Inge といったアナグラムめいたいたずらを小説に書いたことを思い出す。アナグラムに特殊な関心があって、カザノヴァのアナグラムなどを見ると、どうにかして解いてみようという気になる。

私市先生ご自身はこの「伝説」を日本に広めた責任を感じていらっしゃるようですけど、やはりインパクトがある話には違いないし、それが先生の熱のこもった文章で倍加されたわけで、これはこれでひとつの時代というものでしょう。アナグラムに関する指摘がここでは重要で、それ自体は間違っていないわけですし。