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未来小説?

またまた細かい話を……。雑誌『水声通信』が休刊ということで、はなはだ残念に思いつつ、改めてヴェルヌ特集号をちょっと見直していて、「フリッツ・フラック」の翻訳の、最後まで氷解しなかった疑問箇所に目が留まり、あれ、これって……と思ったわけです。

「その時代にはまだ瀉血が行われていた。そして、現在と同様、医者たちは瀉血によって、まだ生きのびるはずの患者を卒中から救っていた」

ここ、ゲラでも編集者から論理的におかしいのでは、と指摘を受けて、しかし、原文通りなのでそのままにしたのですが、そう、これ『ロビュール』と同じように考えればすっきりします。つまり、「その時代」って未来じゃないでしょうか……この話、おとぎ話風なのでてっきり遠い過去としか思わないのですが、そのことによって「未来を過去形で書く」背理が拡大されているのではないか……。というか、そうとるしかちょっとほかに解釈のしようがない気がします。みなさんはどう思われますか、未来小説としての「フリッツ・フラック」!

9月11日の読書会は一般の方でも参加可能です。1941年ソ連版の原作に忠実な映画『神秘の島』など、ちょっと珍しいものもお見せできます(といっても、まあネットで入手可能なんですが)。

コメント一覧

sansin 2011年09月09日(金)19時59分 編集・削除

「フリッツ・フラック」、未来小説でなければばらない必然性はどこにもないですねえ。

ただ、トリフュルガスを呼びに来る女性が少女、婦人、老婆と変化していくのは、もしや急速な時間経過の暗示ではないでしょうか。一夜の出来事のように書きながら、トリフュルガスの時間は死に向かって加速した結果、現在を追い越してしまったのだと読むこともできなくはない。

リュクトロップという町も地図に載っていない、とわざわざ断っていますが、時間についても「その夜」とか「ある晩」とかの指示がないように読めます(あくまで邦訳を読むと、です)。

不特定な時間と空間、噴火する火山(「噴火口の底知れぬ深みに何があるのか、確かなことは誰にも分からない」)とすれば、これはやはり至高点(特異点)にごく近いヴェルヌの象徴空間なのでしょう。

改めて思うのは、はたしてヴェルヌは単純な過去・現在・未来という直線的な時間感覚で作品を書いていたのかどうか、ということですね。日記風というのは、日々現在、ということで、過去と未来は現在に混在してしまうのではないか? まあ、これはたった今思いついたことなので、この辺で。

ishibashi 2011年09月17日(土)21時40分 編集・削除

ロシア版、以下から入手可能ですので、関心のおありの方はどうぞ。

http://straylight.tv/jv/