記事一覧

無用のこと

ヴェルヌ研の活動ではなく(笑)、書くことがないのでこのようなタイトルになった。

だから、今回は会員活動とは関係がない。会の活動としては、編集作業続行中というところである。

書くことがないなら書かなければいいのだが、やや間が空いたので埋め草をしたくなった。

ユクスキュルという人だったか、生き物それぞれに世界における有意味な要素は違うので、世界観? はそれぞれ全く違うと述べていたと思う。アフォーダンス理論とかいったろうか。

裏を返せば、意味のないものはその生物の世界からは抜け落ちている、と捉えられなくもない。(たぶんユクスキュル先生の言っていることとは違うだろうけど)

しかし、人間という生き物は無意味なものも自分の世界に含みこんで生きている。不要不急は自粛という風潮であるが、何が不要あるいは無用かは人それぞれで、他人から見ればどうでもいいことでも、当人には案外有用なのかも知れない。

無用、無意味と思えるものも、考え方によっては有用、有意味である、などといいたいのではなく、無用は無用でいいのであり、否定すべきものなどないのではないか。

これは極論かもしれない。多くの人が無用と思うものの中には、犯罪などの社会病理を誘発する恐れがあるから、というものもあるだろうから。

何が無用か、というのは案外重要で、複雑な問題である。

私にとって今一番無用と思えることは、フッサールの『論理学研究』を読むことなのだが、ではなぜ読む気になったか、というとちょっと説明しづらい。

そもそも、まだほとんど読んでいないのだが。

長いし、まだすべて訳されていないようなので、じっくり読むことにする。

ところで、みすず書房のホームページを見ていたら、「月刊みすず」に小沢信男が連載しているようだ。しかし、「月刊みすず」など図書館にも置いていない。

来月には「大人の本棚」シリーズから山田稔が出るようだ。エッセイか小説かは分からない。

コメント一覧

ishibashi 2011年04月24日(日)18時37分 編集・削除

うわ、新刊情報ありがとうございます。表題作の「別れの手続き」は、中村昌義という私小説家に関するエッセイで、http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20060430
http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20060507
で紹介されていたのをずいぶん前に読み、その時は山田稔に関心がなかったので、中村昌義を古本で入手したものの、いまいちとっかかりに欠く作家は読む気がせず、しかも安価で入手した二冊がいずれも署名入りで、これが妙に生々しくてさらに読む気を失っていたのでした。その後、山田稔を読み始めて、「別れの手続き」を読む前に、中村昌義を読むべしという気になって、急遽読んだのですが、これが結構よかったのでした。それから「別れの手続き」を読んで、これだけ読んでも得られなかったであろう感銘を受けました。たぶん再録のエッセイ集だと思いますが、新刊が出るだけで嬉しいです。内容を全部読んでいてもまた読むと思います。