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死角と明察   ある会員の活動25

ぼやぼやしているうちに、9月も後半となった。

昨夜会員に対し、会誌の締め切が10月末である旨、改めて通達があった。したがって、ishibashiさんに前回振られた単位系にいつまでもかまけていることはできなくなった。今日まで調べたことを簡単に記しておく。もっとも、このくらいはishibashiさんはとっくに調べ済みとは思うが。

『万物の尺度を求めて』に詳しく記されているが、ヨーロッパの度量衡はフランス革命の時期を境に国際的な変動期を迎える。フランスで算定され、法制化されたメートル系が1世紀をかけてヨーロッパのほとんどの国で批准されていくのだが、無論トップダウンの改定であるがゆえに、社会全体に浸透するにはさらに時間がかかった。フランスでも、ナポレオンが一度廃止するなど、メートル法の定着には長い時間が必要だった。

それまでは王政に決められた尺度で各国独自に通用していたが、基本的に考え方は古代文明やローマ帝国時代と同じであった。つまり、王の身体が尺度であったのだ。長さを例にすると、英米のフートfoot(フィートfeet)は「足」であり、フランスのピエpiedも「足」である。面倒くさいのは、人間の足はそんなに大きさが変わらないので、どれもそんなに違いがない、つまり日常的には1対1で換算できてしまうと考えられていたらしい。

『丸善 単位の辞典』によって今の尺度に直すと、1ピエは32.484㎝、イギリスの1フートは30.480㎝である。それぞれその12分の1がフランスでプースpouce、イギリスでインチinchとなる。

イギリス・アメリカではいわゆるヤード・ポンド単位系が根付いていたため、イギリスが小売業にメートル法の単位での商品販売を義務付けたのは2000年1月1日のことであった。アメリカではまだメートル法は事実上採用されておらず、少しずつ民間に浸透しつつある、という程度だそうだ。

さらにややこしい話だが、イギリスでは19世紀にヤード・ポンド法を制定する際にメートルとの換算値を何度も見直しているが、アメリカはそれに従わず、19世紀末にようやく独自に定義づけている。つまり、現在でもイギリスとアメリカでは同じ名称の単位でメートル法換算値が違うのである。そしてイギリスでは、古来からの常用度量衡と19世紀に定められた帝制度量衡、さらにその後制定されたヤード・ポンド法の数値が混在している。もっとも、その差は長さで言えば10分の1ミリレベルの話だ。

そうした背景の知識がないと、何で1865年に発表された『地球から月へ』でピエやプース、重さではリーヴルといった古来の単位用語が使われているのか分からないということになる。漠然と、昔の外国の小説だから昔の外国の単位なんだよね、と安直に考えてしまうのだが、フランスはもうメートル法を採用していたのだから、社会的慣習に従っているのだとしか考えようがない。新聞に発表されたのだから、いかにメートル表記が当たり前になっていなかったか、ということだろうか。日本で言えば尺や貫目で表記しているようなものだからだ。

そのうえで、ヴェルヌが注釈に記しているアメリカの単位やメートル法への換算を検証してみる。私は最初、ヴェルヌはマニアックにイギリスとアメリカの単位の微差を気にしているのかと思ったのだが、ことはそんなレベルではなかった。前述のとおり、アメリカとイギリスの度量衡はマクロで言えばほぼ変わらないと考えていい。

問題は、ヴェルヌがピエやリーヴルという単位用語を、フランス古来の尺度とみているのか、英米の単位であるフートやポンドの仏訳として使っているのか、よく分からないということなのだ。

顕著なのが重さの単位リーヴルである。ウィキペディアだの、ものの本だのを調べると、これはフランス古来の単位としては489gを示す。英米ポンドの訳語としては453gを示す。当時のフランスのメートル換算の慣用としては500gを表しているのだ。

『地球から月へ』の第7章では、24ポンドを24リーヴルのこと、としている。これは英米ポンドの訳語としているのだろう。

第8章では大砲の重さから作成経費を算出するとき、68040トンの大砲に対し、1リーヴルあたり10サンチーム(10分の1フラン)で換算すると13608000フランかかると算定している。これは1リーヴルを500gで換算している。

そして第9章では火薬の量を説明するときに、アメリカの1リーヴルは453gであると、注釈でわざわざ明記しているのだ。まるで、読者が違う数値(フランス固有の尺度)を想定しているようではないか。

この換算値の揺れをどう解釈すべきか。ひとつは、元ネタの数値をそのまま引用していて、ネタ本の換算基準がばらばらなのを気にしていないのではないかということが考えられる。

もうひとつは、うがった見方だが、ヴェルヌが章ごとに換算値の根拠をずらすことで、ふざけているのではないかというものだ。社会的な度量衡の混乱に対する風刺か、もしくはヴェルヌお得意のダジャレへの感性が、単位を示す言葉の複数の意味(ダブル・ミーニング)に反応して、分かりにくい冗談、読者が計算を追っているうちに頭が混乱するのをみこした、オペレッタ風の喜劇として演出したのではないか。

※ポンドとリーヴルでは言葉が全然違うように見えるが、もともとローマ時代のリブラ(天秤の語源でもある)から来ていて同源のものだ。ポンドの単位記号はlbである。

リアルなようでナンセンスな喜劇、という意図が、『地球から月へ』のヴェルヌにあったことは十分考えられることであろう。

ところで、そうだとしても、ヴェルヌの計算はよくわからないところがある。第22章で「32プース(0.75㎝)の臼砲」という記述があるが、フランス古来の尺度では32プースは86.6㎝である。インチの訳語としてでも81.28㎝だ。桁間違いですらないので、何を間違えたのかすらよくわからないが、間違っている。単なる校正ミスであろうか。

また、『月を回って』第9章では、底面積54平方ピエの砲弾内に、3ピエの高さまで水が入っていて、体積は6立方m、重量が5750kgという説明がある。6立方mという記述はおおよその表記と好意的に解釈するとして、5.75tの水であるから5.75立方mであると考えても、1立方ピエは0.0343立方mである(『単位の辞典』によれば、1立方トアズ=7.4037立方m=216立方ピエ)から、162立方ピエは5.56立方mにしかならない。いったい何を見てこういう計算をしているのだろうか。

ちらっと本文をあたっただけなので、まだあるかもしれないと思うと頭がおかしくなりそうだが、これは翻訳においてきわめて危険なことだ。たとえば、『グラント船長の子供たち』の冒頭、バランス・フィッシュの重量が600リーヴルとなっているが、邦訳はあっさり270kgと訳している。これはポンド換算であるが、500g換算なら300kgなのかもしれないのである。

と、何だかおそろしい話になったが、ここまでで打ち切らざるを得ない。いろいろ単位の歴史を書いた本なども読んでみたが、いずれもメートル法が国際基準になって人類は進歩してよかったね、という感じで、19世紀後半までピエだのリーヴルだのが幅をきかせていたなどとは書いていない。そういう意味でも『万物の尺度を求めて』は良書と思う。

メートル法によってすべてが明瞭になった、などと夢にも思わないことだ。単位の本を読んでいたら、読み始めた某『天地明察』の続きを読む気が失せてしまった。明察には必ず死角が潜むのである。石橋さんに教えてもらって、ポール・ド・マン『盲目と洞察』を発売と同時に落手できた(感謝です)。「文学(ないし文芸批評)を覚醒=脱神秘化と捉える考え方こそ、あらゆる神話の中でもっとも危険な神話なのだ」(P31)。この言葉が科学には適用されないと誰が断言できようか。

コメント一覧

ishibashi 2012年10月01日(月)23時12分 編集・削除

反応遅れてすみません。そうなんですよねえ。ショック防止の水の体積の計算は、『地球から月へ』の時点ですでによくわかりません。僕の計算能力もヴェルヌに輪をかけてひどいのでなおさら…… まあすべて原文通り出していますし、おかしいと思ったところはすべて草稿と照合して誤植ではないことを確認することくらいしかできませんね。あとは好事家にお任せしたい……

sansin 2012年10月02日(火)01時57分 編集・削除

「0.75cm」は、初めて読む人が誤植だとしか思わないのではないかというほど「まさか」な間違いなので(笑)、原文のママとか書いといた方がいいんじゃないかと心配になりました。

あとは、知識がなかったのだから間違いとは言いませんが、やっぱり着水ですねえ。どう考えても助からない。さきほどアポロ13号のドキュメンタリーをやってましたが、最後はちゃんとパラシュートが開いていました。

この間、人気の芸人さんが高さ10mからプールへ飛び込んで大けがしましたが(最近の芸人さんはマッターホルンに登らされたり大変ですな)、先端から突っ込んでも「へしゃげる」でしょうね。まして挿絵だと底面から行ってますので。

ishibashi 2012年10月05日(金)19時59分 編集・削除

0.75cmはmの誤記であろうとしたうえで、ピエとフィートの両方の換算値を注記しておくことにしました。ほかは換算の基準だけ示すので、あとは各自勝手にしてくれ、とするしかないかと。もし素晴らしい解釈を提案される方がもし現れたら、再校で直します。

『エコー・メイカー』も『卑しい肉体』も、それどころか『この人を見よ』も読めずにいます……

sansin 2012年10月10日(水)23時47分 編集・削除

たった今気づきましたが、活動報告23が抜けてますねえ。
どこかで調整しなければ。
関連本以外は完全に退嬰的になって(だから『天地明察』など読みかけてしまった)、電車の行き帰りは創元推理文庫のホームズかクイーンの新訳というありさま。いや、何の気なしに読んで必ず面白いと言ったらこの辺しかないので・・・今は『フランス白粉の謎』です。

とりあえず復刊したナボコフ『プニン』は買いましたが、いつ読むのやら。