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ブッチャー氏講演会の続き  ある会員の活動21−2

投稿の間が開いてしまったが、続き。
(原書を買おうとした書店は日曜日休日であった)

これなら池袋で下車してジュンク堂に立ち寄った方がよかったのではないか、いや、以前欧明社に来たときに買っておけばよかったのだ、いやいやそもそもいい加減ガラケーじゃなくスマホにしておけばプロジェクトグーテンベルグからダウンロードするなり仏語辞書もアプリがあったろうになどと、ありえたかもしれない過去へのルサンチマンが数秒間頭の中を駆け巡った。

が、この歳になるとあきらめが早い。駅につながったショッピングモールの蕎麦屋で早めの昼食をとる。ひとごこちつけて、東西線で東陽町へ。

駅から出て四つ目通りを進むとほどなく区役所、その隣が江東区文化センターであった。

30分ほど前に着く。4階の会場に行っても、いつものことながら誰も来ていない。ちょっと待ってみたのだが、人がどれだけ来るか分からないし、空気入れ替えといた方がいいよな、と思い1階に降りて受付で申し入れる。

警備員が開ける仕組みらしく、4階にあがるともう開いていて、いつのまにか先に上がっていた会員の方々と机を並べ直して待つ。総勢11名。

すると時間ちょうどくらいに石橋氏、私市先生とブッチャー氏が登場。
プロジェクタを設置し、とたんに始まった。

つくづく、世の中は進歩したと思う。PC画面がスクリーンに映ったと思ったら、我々はSDカードに記録されたヴェルヌ『地球の中心への旅』草稿の画像を目の当たりにしたのである。

ブッチャー氏いわく、自分の研究は既存のヴェルヌのイメージを破壊するだろう、今後まとめて出版するつもりだ・・・

内容は次回会誌に訳が掲載される予定とのことであるからくどくどは書かないが、ヴェルヌがパリにいた当時、エッツェルとの間で後年のように頻繁に書簡がやりとりされてはいなかったようで、ヴェルヌとエッツェルとの間で『地球の中心への旅』の改稿を巡ってどのようなやりとりがされたのか、記録はほとんど残っていない。

草稿を手がかりに、ヴェルヌが構想した原『地球の中心への旅』を明らかにしようとするのがブッチャー氏の狙いであった。
執筆時期や、エッツェルの介入箇所の特定などについての仮説を画像を示しながら説明され、皆興味深く聞いたと思う。

いくつか質問したが、やはりブッチャー氏指摘の箇所が邦訳のどの辺かわからずまごついた場面があった。

一番驚いたのは、私が一番注目していた箇所、主人公が夢かうつつかと断りながら、地底で巨人を目撃する場面。ここだけは何の説明もつかない、ヴェルヌの幻視が生で出てきているような場面である。実は初版にはないのだそうだ。
後に出た挿絵版で加筆されたそうで(前回も書いたが、こういう経緯は会誌第2号の読書会でちゃんと説明されているのだ。やはり予習不足が露呈した訳である)、それはエッツェルの指示だったというのがブッチャー氏の説明。

思わず、え、あの場面エッツェルの発想!?と飛び上がったのだったが、加筆の内容を誰がどう決めたかは分からないとのこと。いや、ここはヴェルヌだ、ヴェルヌだ・・・
(そうでないと、私が会誌4号と6号に書いたことが完全崩壊するのである)

1時間強で講演は終了。皆で記念写真を撮り(撮ったのはブッチャー夫人)、ブッチャー夫妻はそのまま成田からご帰国とのことで、石橋さんが駅まで送っていった。

なんとなくあわただしく始まり、終わった感がある。気後れして聞きそびれたのは、ブッチャー氏は結局、ヴェルヌは『地球の中心の旅』をどのような作品にしようとしていたと思っているのか、ということ。

幻想世界を書きたかったのか、冒険小説を書きたかったのか、地球空洞説的世界観の啓蒙だったのか・・・

その後戻ってきた石橋さんを囲み皆で若干協議。会誌6号をゲット。厚みがある。送料の問題が出たようだが、外観は特集作品の『神秘の島』にふさわしい貫禄が出たと思う。品評会は6月末から7月初(その後7月1日で決まったようだ)、7号読書会(ガン・クラブ3部作)は10月ということで決まった。

石橋さんはだいぶお疲れの様子(それもそのはずで、前回投稿のコメントによれば朝から観光のおつきあいだったそうな)で、会場を引き払うと三々五々、解散したのであった。私市先生がなさったそうだが、やっぱり石橋さんの慰労をかねてちょっと行ってもよかったかも。

私はと言えば、池袋で降りてジュンク堂に行った。しかしアシェット社の原書はなかった。帰宅後、ヴェルヌ書店で注文したことは言うまでもない。

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