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プルーストとスタール

吉川一義先生が半年に一巻という驚異的なペースで『失われた時を求めて』個人全訳を刊行中ですが、この新訳の「売り」のひとつは、プルーストと絵画の関係を専門とされている訳者の強みを生かした豊富な図版にあるのはいうまでもなく、先日刊行されたばかりの第三巻には、そうした図版の中にあって、やや異色なものが一点。「花咲く乙女たちのかげに」には、スタール、すなわちエッツェルの絵本、リリ嬢シリーズに関する結構長い一節があります。これはエッツェル側から見れば、おそらく後世に与えられた最大・最上のオマージュということで、しばしば引用されてきたのですが、どういうわけか、誰ひとりそこで描写されている挿絵を特定する(できる)人はいなかったのです。プルースト研究側でもこの挿絵は特定に至らず、プレイヤード版の注にも説明はなし。ところがこのほど、私市先生のご尽力でそれらしい挿絵にたどり着くことができたという次第です(吉川先生はあとがきで「プルースト研究者はおろか、スタール研究者にもほとんど知られていない貴重な図版である」と記しておられますが、この「スタール研究者」は「エッツェル研究者」と読み換えるべきところでしょうね)。ただ、問題は、この挿絵が「教育と娯楽誌」の1902年の新年号に掲載されたものであるということ。プルーストの記述だと子供の頃の思い出のようなのですが、1902年だとすでに30歳。おそらくこの挿絵は絵本の構成要素ではなく、単発で雑誌掲載されたものと思われるので、当然添えられている文章も、署名こそ「S」となっていますが、1886年に没したスタール=エッツェルではないでしょう。だとすれば、いかなる経緯で「教育と娯楽」のこの号はプルーストの目に触れたのでしょう? ちなみにこの号から連載が開始されたヴェルヌ作品は『キップ兄弟』でした。リリ嬢の絵の直前に掲載されたヴェルヌの新作連載第一回目をプルーストは読んだのでしょうか? なお、岩波文庫362ページ掲載の図版をスキャンして提供してくださったのはフォルカー・デース氏であることを付け加えておきたいと思います。

さて、話は変わって、当会顧問の私市保彦先生がこのほど水声社から刊行が再開されたサド全集の最新刊で翻訳と解説を担当しておられます。同じ水声社からはバルザックの新たな選集の刊行が予定されており、先生はそちらでも獅子奮迅のご活躍ぶりの模様、なんとも精力的で敬服のほかありません。

コメント一覧

sansin 2011年11月20日(日)20時01分 編集・削除

『恋の罪』、価格は目が飛び出ますが、11編をまとめて完訳したのは初めてではないですか。

最後の「ウージェニー・ド・フランヴァル」(渋澤龍彦に「悲惨物語」の邦訳あり)はバタイユが「サラジーヌ」や他のいくつかの小説(と言っても、『失われた時を求めて』とか『赤と黒』とか『白痴』とかですが)とともに「小説がいかなるものになるか」というものの例として挙げていて、それをロラン・バルトが『S/Z』で引用していますので、個人的に妙なつながりを感じますね。

プルースト吉川訳もじっくり読みたいところですが、まずは原稿を書かねば・・

sansin 2011年11月20日(日)22時22分 編集・削除

おお、今ソフトバンクの優勝を見ながら第三巻の解説を読んでいたら、私市先生と石橋さんへの謝辞がしっかり書かれているではないですか。
やっぱり暇を見つけて読まねば。ジルベルトが『ミシェル・ストロゴフ』を観に行くのだと発言するところも確認せねば(これは第二巻か・・・)

ishibashi 2011年11月26日(土)20時55分 編集・削除

光文社文庫の新訳の続刊も来月出るようですね。

山田稔の新刊が先月出ていたのですが、「日本小説を読む会」というまことに贅沢なうらやましい会の歴史を綴った書き下ろしが素晴らしかった。会の記録はごくごく一部しか収録されていないので物足りませんが、『富士さんとわたし』などを読みますと、いかにこの会が山田稔にとって重要だったかわかります。

http://www.groupsure.net/