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『ロビュール』再び

前回の投稿からずいぶんと間が空いてしまいました。引き続き『征服者ロビュール』について若干のことを。この小説が近未来小説である、ということを意識できた邦訳の読者は果たしてどれだけいるでしょうか。この点についての配慮が欠けているのも手塚訳の問題点のひとつです。端的には、エッフェル塔が出てくるわけですが、『ロビュール』の刊行は1886年、エッフェル塔が完成するのはその3年後のことです。そして、登場人物アンクル・プルーデントが財をなしたのは、ナイアガラの滝からエネルギーを取り出す事業に出資していたためですが、この滝が水力発電に使われるようになるのはこの十年後のこと。この時点ではこれは十分にSF的な話だったのです。また、アフリカ縦断に際して、建設途中の「サハラ横断鉄道」の線路を見かけることになっていますが、この計画はこの時点で着手はおろか、ほぼ頓挫していたのです。『ロビュール』刊行の数年前、この計画のために派遣されたフラテール調査団が原住民に虐殺されるというショッキングな事件が起きており、そのため、普仏戦争以来のフランスの悲願であった「サハラ横断鉄道」計画はほぼ断念された格好になっていました。

ヴェルヌは、さまざまな理由から頓挫するなどして実現に至っていないこうした大規模な(ユートピア的)プロジェクトに大変関心を持っていました。例えば、サハラ海がその例です。今注目を集めているチュニジアの内湖地帯は地中海より海抜が低く、その昔は内海だったという伝説に基づき、それを復活させようとしたフランス陸軍の士官ルデールがレセップスも巻き込んで実現の一歩手前まで行ったこのプロジェクトは、最晩年の『海の侵入』のテーマとなったほか、やはり未来予測小説である『エクトール・セルヴァダック』の中では、すでに実現していることになっています。また、横断鉄道つながりでいえば、大アジア横断鉄道が『クローディウス・ボンバルナック』では開通したことになっています。こうした計画に対するヴェルヌの関心は、彼がフランス流の「文明化」の大義をある程度信奉していたことを意味しますが(特に、ヴェルヌが作中でほとんど取り上げていないサハラ砂漠をなんとかしようとする計画が二つもあるのはその点で重要でしょう)、単純にこういう大規模な事業が好きだったということでしょう。

そういうわけで、『ロビュール』には、何度となく「この時代には……なっていた」という記述が出てきます。これはすべて(同時代の読者にとっての)未来のその時点に関する予想記述なのです。手塚訳はその点がまったく考慮されておらず、単にヴェルヌの同時代の話としか読めなくなっています。もちろん、これは「未来のことを過去形で語る」という(蓮實重彦が指摘し、批判した)SF小説の原理的背理とも関わる問題です(このあたりの話はできればsansinさんにお願いしたいところですが、と振ってみる)。

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sansin 2011年01月28日(金)22時42分 編集・削除

あ、振られた。
日曜までお待ちください。