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怒れる海

オーデンの『怒れる海』を読んだきっかけはなんだったのか――記憶では、ブルーメンベルクの『難破船』と同じころに読んだ気がするのですが、八木敏雄『「白鯨」解体』で、ピークォッド号が遭遇する船のタイプを分類する個所が紹介されていたからだったかもしれません。こういう小ぶりの名著に対する憧れがあるのですが、個人的にその双璧が金塚貞文の『オナニスムの秩序』と『怒れる海』なのです。この本は、『白鯨』論として読めるのですが、英米の詩の引用の的確さに初読時はうなったものでした。今回必要があって再読してみて、『海底二万里』がなぜか著者名抜きで引用されていたことは覚えていたのですが、最初の方で一、二度、と記憶していたのに、数こそ多くはないものの、実は全編にわたって引用されているのに驚きました。それにつけてもヴェルヌの名が一度も言及されていないのは不思議で、訳者の沢崎順之助も訳注で補ってもよさそうなのにそれもなく、しかも「ネモ大佐」となっていてがっくりします。まさか知らなかったなんてことはないと思うのですが……。もう一つ気になったのは、英米文学以外に引用が多いのはフランス文学なのですが、ボードレールとランボーばかり、マラルメ少々、はいいとして、なぜユゴーの引用が一箇所もないのか、ヒーローを論じながらなぜモンテ=クリスト伯に言及がないのか、後者はともかく、前者はいくらなんでも偏頗ではあるまいか、と(これは遅まきのユゴー読者の感想とはいえ)思えてなりませんでした。「ロマン主義の海のイメージ」と題しながらユゴーに一言もないのは、オーデンだからこそ許される、ともいえるのですが、なにか理由があるのでしょうか……

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sansin 2012年12月20日(木)22時57分 編集・削除

オーデンのことは詳しく知りませんが、好き嫌いが激しいだけなのでは・・・

ヴァレリーはユゴーを絶賛してますが、クローデルは全く認めてません。20世紀前半の詩人たちにとって、ユゴーが試金石的存在だったということは、ありませんかね。

ishibashi 2012年12月21日(金)00時38分 編集・削除

そう、そのくらいの世代まではユゴーを認める・認めない、がひとつの文学的立場の表明たりえたわけでしょうね。それだけ巨大な存在だった、と。だからこそ、嫌いなら嫌いで理由が知りたいんですね。グーグルの検索くらいではちょっと埒が明かなくて。オーデンのユゴー嫌いが特に有名ということもなさそうですし、国と言語が違えば、拒否するにせよ、多少の距離は出てくるのではないか……。

ピンチョンの『逆光』を読んでいて、おもしろくはあるんですが、どうもはやり長すぎるし、人物が頭に入らなくて(最近十九世紀の古典か推理小説しか読まないのがいけないんでしょう)、息抜きに、届いたばかりの『夜がらすの記』を初めて読んで一息。しかしこの本、献呈サイン入りとはいえ、ちょっとぎょっとする(というと思わせぶりですが、内容的にどうこうということではなく)私信が挟まっていて、なんとも。

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